のだ。
西洋古代の宗教文学に関する語彙《ごい》は、三十年代になっても、繰り返された。それが後には「花詞」と選ぶ事のない程安易な物になったが。明治三十二年以後著しい短歌改革運動を行った新詩社の人々の短歌に収容した詩語は、やはりぎりしや[#「ぎりしや」に傍線]・ろうま[#「ろうま」に傍線]或はきりすと[#「きりすと」に傍線]教の神話信仰に関した美しい詞《ことば》であった。それを久しく用いて、多くの神話に現れる星や、愛を表現する花々を繰り返した結果、新詩社一派を星菫派と世間では言うようになった位である。ある方面から見れば、新詩社の新派短歌は新体詩運動が短歌に形を変えて現れたものと見るべきである。だから此所にも、新体詩の改革運動のように、平俗な思想を避けようとしながら、完成せぬ表現から、そう言う安易な作物が多く出て来た。そうして曲りなりにも思想らしいものの出て来たのは、鉄幹・晶子両氏が、古典研究を本気になって始めてからの事である。最初から新詩社に対抗していた正岡子規すらも、ぎりしや[#「ぎりしや」に傍線]・ろうま[#「ろうま」に傍線]の神話文学の影響を詩に取り入れようとした。唯それを日本的に
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