ある人々は、五七連節の長歌によろうとした外は、漠然と西洋詩型に、生命を托《たく》しようとした。併し日本語をば西洋詩型に入れようとする事が、どう言う意味を持っているか、そう言うことの思われない啓蒙期《けいもうき》であった。詩は発想であり、思想をまず生活化してその生活の律動によって、新しい詩型は生れる筈だったが、それを考える事すらしなかった初めの詩体は、決して初めの時代だけに終らなかった。晩翠が出て初期の詩形をある点まで急速に敷衍《ふえん》し、整頓《せいとん》して、ある一つの決著《けっちゃく》をつけた。其と共に、藤村は新しい詩の内容が、詩形を胎《はら》んで来る事を、ある程度まで実際に示して、若い日本の詩の世界を、喜びの有頂天にひき上げた。藤村の発見した詩は、若干の新しい思想と、或は生活と、これに適当した古語表現とが行き合った所に出たのである、まことに、藤村以前の詩は、抽象的に考えれば、古典的であった筈だが、実際は平俗な近代の演歌調の詞曲に成り上ろうとしていたに過ぎなかった。藤村の古語表現には、柳田國男先生(当時松岡)の啓発があって、一挙にあの境地に到達したものと観察せられるが、明治の詩であ
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