るためには、日本の古語のもっている民族的な風格が必要だったのである。近代人の摸索《もさく》は、古語に観念的な内容を捉えようとしたのである。其が民族文学の主題であり、一言で言えば品格であった。柳田先生の与えた影響は、かく仄《ほの》かなものとして過ぎたが、そう言えば、内容にも影響を見る事が出来る。「実をとりて胸にあつれば新なり。流離の憂ひ。海の日の沈むを見れば、たぎり落つ。異郷の涙」と言った藤村の「椰子の実」は、柳田先生の与えた最強い暗示から出た。藤村の事業は、古語が含んでいる憂いと、近代人の持つ感覚とを以て、まず文体を形づくったのである。そうした処に、思想ある形式が完成した。詩の品格は、そこに現れた。われわれは此品格を藤村にはじめて現れたものと見ている。外山正一さん以来、誰の詩にもそれを求める事が出来なかった。何よりも、その詩の音調の卑俗な事は、たとい新体詩史をどんなに激賞しても、中西梅花・宮崎湖処子を尊敬させはしないのである。北村透谷に於てすら殆、無思想を感じるのは、思想的内容を積む事の出来ない近代語を並列して居ったからである。近代語・現在語を以て思想表現をすることが、真の目的と考えら
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