なものが現れ出した。
地の文と對話と、内容と外部との描寫の交錯した、自由な發想法が出て來た事である。此は大分、文章の歴史の上の大事件の樣な氣がする。唯中には、かうした形を文章の技巧と意識し過ぎて、一種のじやず・ばんど[#「じやず・ばんど」に傍線]を作らうと考へてゐるらしい作家もあるのには困る。さう早くから、望みある水の川上を濁してくれては困る。こんな點では、さすがに谷讓次さんのものには、心理に隨伴した交錯や、幻影が適確な表現を獲てゐる事が多いと思ふ。なるほど世間の評判も、時には信じてよいと考へた。だが、此人の文章にも、氣品があり過ぎる。新感覺派に接觸し過ぎてゐるのが、好意は持てゝも、不安である。かう言ふ氣品は、どうかすれば、小い皮肉を出したがるものである。鴎外博士の作物の缺點は、とりすまし[#「とりすまし」に傍点]と、小皮肉とであつた。芥川さんなどは其に終始してゐた樣である。第二の潤一郎になる人は、此人ではないかと思ふだけ、少しのあら[#「あら」に傍点]が目立つていけない。
谷崎さんの文章は、世間で言ふほど完成したものではない。私どもに言はせれば、芥川さんなどより破綻がある。けれどもそ
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