うな處に、泡鳴らしい味ひがあつたものである。
宇野流と新感覺とでは、大變違ふ樣だが、かうした事實が、ほんたうに一つになつた處に、詩人出の多くの作家の特殊な表現があると思ふ。新感覺派の文章を其まゝに推し進めて、飛躍させて來たものと見てよいのが、當時流行の所謂ぷろれたりや[#「ぷろれたりや」に傍線]の文章だと思ふ。どうも、ぷろれたりや[#「ぷろれたりや」に傍線]にそぐはない程、其文章の感觸に芳烈さがある。原文は讀めないから訣らないが、ろしあ[#「ろしあ」に傍線]物などに、ありさうもない水際だつた姿と、かつきりした書き方に整ひ過ぎてゐる。暗い題材を扱ひ乍ら、明るすぎる。其は、青年の作らしいよい處だが、我々中年の傍觀者には、物足らない。始終ある解決を待つてゐる大きな陰鬱な雲が、頭の上におつかぶさつてゐる氣分を起させる文章が、人生を指導してくれる大きな文學の、必持つて來る姿だと信じてゐる。貴族的な明るい感覺的なものを、ぷろれたりや[#「ぷろれたりや」に傍線]作家諸君が、發想法に持ち過ぎてゐるのである。だが、其等の人の間に、最近の傾向として、文章の型に囚はれ過ぎてゐる私どもの心を、元氣づけるに十分
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