あゝやつと平生のおれが還つて來た。昔からこの國の第一人者といはれた人は、「不可思議」に心は※[#「てへん+勾」、拘の俗字、第3水準1−84−72]へられなかつた。「不可思議」のない空虚な天地に一人生きてゐる――寂しさを、おれが感じるだけでも、昔の人たちとは違つてゐるのでないか――さう氣が咎めるほどなのだ。
……をゝさうだ。すつかり忘れるところだつた。山から貰ひうけて來た楞善院の喝食は、こゝに來てゐるのだらうか。
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來《コ》うよ。こうよ。
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すつかり明るくなつてゐる妻戸の外に、衣摺れの音が起つた。
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召しますか。
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美しい聲だ。おれの殿には若いをのこども、若女房が澤山ゐるが、此ほど爽やかな聲を聞いたことがない。あれだな――、敏《サト》いらしい者と感じたのだが、やつぱり――思ふ通りの若者だつたな――。それに、あの嫻雅なそぶりが、山のせゐ[#「せゐ」に傍点]で、飛びぬけて美しく思はれたのでなければ、――今度の旅の第一の獲物と考へてよいだらう。さう幸福な感じが漲つて來るのを覺えた。
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