見える位であつた。
村里へ出てゐるのだといふ心が、ひらりと、大臣の記憶がのり出して來る。をゝさうだ。昨日――いや、をとゝひ高野を降つた。あしこに居つた數日の印象があまり、はつきりして居て却て昨日一日のことは拭ひとつたやうな靜けさだつた。
今の今まで夢ともなく、聯想ともなく、はつきりと見えてゐたのは、其はをとゝひの夜、あつたことだ。山の上の小川―玉川―にけぶるやうにうつゝて居た月の光りに、五六間先を行く者の姿を、朧ろながら、確かに見た。「※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]惠か」と口まで出た詞を呑んでしまつたのは、瞬間、其姿があんまり生氣のない謂はゞ陰の樣な、それでゐて、ずぬけてせい[#「せい」に傍点]の高いものだつたから――だ。
だがさう思つた時、その姿はどこにもなかつた。今見た一つゞきの空想も、唯それだけだ。おれは、其影のやうなものを、つきとめたいと思うてゐる。其で、眠りの中に、あれを見たのだ。――他愛もない幻。そんなものに囚れて考へるおれではなかつた筈だ。――いや併し、あの前日のことがなかつたら、こんなにとりとめもないやうな一つ事を考へるわけはない。――あの日、まだ黄昏にも
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