ない。だが、自分で經驗したものを、世間の平俗な考へが、容れないからと言つて、其を此方の思ひ違ひときめるのは、恥しい凡下の心だ。變つて居れば變つたでよいではないか。おれは新しい現實を此目で見て、人間の知つた世界をひろげるのだ。
――かう考へ乍ら、歩みを移してゐる。兩方は深い叢で、卒塔婆の散亂する塚原である。上は繁りあうた常盤木の木立ちで、道が白んで見える仄暗さだ。沙煙――道の上五尺ほどの高さ、むらむらと沙が捲き立つて行くやうにも見える、淡い霧柱――大臣は、目を疑うた。立ち止つて目を凝して見る。目の紛れではない。白くほのかに、凡、人の背《セ》たけほど、移つて行く煙――二間ほど隔てゝ動いて行く影――。
明るくなつた。水の響きが聞えて來た。
鶯が鳴いてゐる。山では聞かなかつた。再、拙い夏聲《ナツゴヱ》にかはらうとしてゐるのだ。水面を叩く高い水音が、次いで聞えて來た。蔀戸《シトミド》はおりて居て、枕邊は一面の闇がたけ高く聳えてゐる。其を感じたのは、東側の奧の妻戸が、一枚送つてあつて、もう早い朝の來てゐることを示してゐたから、却て南面《ミナミオモテ》の西側近く寢てゐると、やつと自身の手の動くのが、
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