不思議――現世の増上慢どもに對してのよい見せしめで御座ります。此ほどまざ/″\と、教法の尊さを示すことは御座いません。
さう言ふ姿を見たと言ふことが、そこ[#「そこ」に傍点]の大きな學問になつたのだ。その時、開山の髮髭はどう言ふ樣子だつた。
恐れおほいことで御座います。まことに、二寸ばかり伸びてゐさせられました。髭までは拜しあげる心にはなれませんでした。
心弱いことの。だが/″\結構々々。さうした經驗は、日本廣しといへども、した人は二人三人《フタリサンニン》ほか居まい。羨しいことだ。時にそれが、どう日京卜と繋つてゐるのだ。
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律師は、知識の鬼のやうに、探究の目を輝して、眞向ひの貴人に、壓倒せられる樣な氣になつてゐた。
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唯、いつからの爲來りともなく、大師鬢髮の伸びぐあひをはかる占ひめいた儀を行ひます。其は何ともはや、――謂はゞ、目にこそ見ざれ、今あること。其がたゞ肉眼では見えぬだけのこと。御廟の底の大師のお形を、幾重の岩を隔てゝ、透し見るだけのことで御座います。目ざす所は、めど[#「めど」に傍点]を抽《ヌ》き、龜や鹿の甲を灼《ヤ》いて、未來の樣を問はうとするのでは御座いません。
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大臣は、考へ深さうな、感情の素直になりきつた顏をして聞いてゐる。それに向つて、少しでも誠實な心を示さうとする如く、ひたすらに語りつゞける自分を反省することも忘れた律師である。
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この山に九十九谷御座います谷の一つ、いづれの登り口からも離れました處に、下※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]法師の屯《タムロ》する村が御座います。苅堂の非事吏《ヒジリ》と申して、頭を剃ることの許されて居らぬ、卑しい者たちの居る處……その苅堂の念佛聖《ネブツヒジリ》と申す者どもが傳へて居ります。開山大師大唐よりお連れ歸りの、彼地の鬼神の子孫だとか申します。その者たちが、當山鎭護の爲に、住みつきましたあとが、其だと申すのです。
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貴人の心が、自分の詞に傾いてゐるかどうかをはかるやうに、話の先を暫らく途ぎらした。空目を使つて、一瞥した大臣の額のあたりののどかな光り――。
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大唐以來大師の爲に櫛笥《クシゲ》をとり、湯殿の流しに仕へましたとかで、入滅の後も、この聖たちよりほかに、與らせぬ行事も間々御座います。日京卜らしいものもその一つで――。髮剃の使が見えられて、愈々御廟を開く三日前、一山の中唯三人、身分の高下を言はず、髮剃りの役に當る者が卜ひ定められます。其卜ひを致すものが、苅堂の聖の中から出てまゐります。以前はよく致しました。今は子どもゝ喜ばなくなりました博木《カリ》をうつやうな事を致します。それも僅かに二本――、やゝ長めな二本の※[#「綏」の「糸」に代えて「木」、第3水準1−85−68]《タラ》の木やうの物の枝を持つて、何やらあやしげな事をいたし居ります。それを色々をこつかした末に、大地の上に立てます。其が大日尊の姿だとか申して、その二本の枝を十文字に括りつけます。此が尊者の身のゆき身のたけ、この竪横の身に、うき世の人の罪穢れを吸ひとつて、卜ひ清めるのだとか申します。
行法終りますと、西の空へ向けて、西の山の端に舞ひ落ちようとする入り日に向けて、投げつけます。この磔物《ハタモノ》のやうに結ばれた棒が、峰々谷々の空飛び越えて、何處とも知れず飛び去ります。
まことに、僞りとも、まことゝも、まをすだけがわれ/\學侶の身には、こけ[#「こけ」に傍点]の沙汰で御座います。が、その時、磔物の柱のやうな木の枝が、鬢髮伸びるがまゝに生ひ垂れた、一人の高僧の姿となつて見えるさうに申します。
此御姿を拜んで、翌《ア》けの日御廟を開いて、大師のみかげ[#「みかげ」に傍点]をまのあたりに拜しまゐらせますと、昨日見たまゝの髮髭の伸び加減だと申します。
御僧は、その目で、前の日の幻と、その日の正身《シヤウジン》のみ姿とを見比べた訣だな――。其が寸分|違《タガ》はぬと世俗に言ふ――その言ひ來たりのまゝだつたかね。――ふうん、其大師の鬢髮の伸びを勘へる、西域の占象《ウラカタ》だよ。占象では當らぬかな。招魂の法――あれだ。『波斯より更に遙かにして、夷人極めて多し。中に、招魂千年の法を傳ふるあり。謂《イヒ》は、千年の舊き魂をも招き迎へて、目前に致すこと、生前の姿の如し。』と言ふ。
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暗記を復誦しながら、如何にも空想の愉しさに溺れてゐるやうな大臣の顏である。
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西觀唐紀の逸文にあるのだがね――、その後に、昔、神變不思議の術を持つた一人の夷人が居てね。その不思議な術の爲に、訝まれ疑はれて、磔物にかゝつて死んだ。其
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