す。御座興にならば、私でも見てさしあげます。
ほう――。そこ[#「そこ」に傍点]がね。
宿曜師など言ふほどのことも御座いませんので――。本道《ホンタウ》を申せば、いろ/\な術を傳へて居ります山で、――
開山が、易の八卦をはじめて傳へられたとも聞いてゐるが、其はどうなつて居る――。
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この時、相手に出てゐた※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]惠律師といふのが、不用意に動した表情を忘れない。「此は、山の人々が考へてゐるやうな、公家衆ではないかも知れぬ。」さう謂つた警戒の樣子を、ちらとほのめかした。
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大師が唐土から將來せられたといふのは、易の八卦ばかりでは御座いません。もつと、西域の方から長安の都に傳つて居ました日京卜といふ、物の枝を探つて、虚空へ投げて卜ふ術まで傳へて還られました。
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大臣は、自分の耳を疑ふやうな顏をした。
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なに、木枝を投げて卜ふ――。
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見る/\和やかで、極度に謙虚な樣子が、顏ばかりではない。肩に、腕に、膝に流れて來た。
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其を聞してほしいものだ。……波斯人とやらが傳來した法かも知れぬ。
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俄かに、友人に對するやうに親しい感情が漲つて來た。
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遺憾なことには、其以上承つて居りません。
誰か、もつとくはしく傳へてゐる人はないものかな。
いや、日京に限りましては、知つたものが、一人も山には殘つて居りません。
それにしても、ありさうなものだが……。其に關聯した記録類があるだらう――。
いえ――。其さへ百年前の□□天火《テンピ》で炎上いたしました。
その書き物が燒けたといふ證據があつて、さう言ふのだらうか。
いえ、全く噂ばかりで御座います。明らかに亡くなつたといふしるし[#「しるし」に傍点]は傳へて居りませぬ。ですが――、何分百年此方、誰もその書き物を見たと申しませんから――。
それもある――。やつぱりあきらめるのかな。
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大臣は、日京卜の文獻が、曾て自分の所藏であつたと言ふやうな氣持ちになつて居るのであらう。
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だが――何とか調べる方法はないかね。
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律師は、返事をしないで、敬虔で空虚な沈默の表情を守つてゐた。
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若し御參考になれば、結構だと存じますが、かう言ふ話は、御役に立ちませんでせうか。
百年以來姿を見せなくなつた書物を探し出す方法があると言ふのだね。
そんな確かなことではありません。唯此山でも、外には一切しない方法で、卜ひをする時が、たつた一度御座いますので――すが、まる/\關係ありさうでもないのですが、開山大師の御廟に限つてすることでありますし、
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大臣は、はやくも、三百年前歸朝僧の船で、大唐から持ち還られた古い書物の行間に身を踊らし、輝かしてゐる紙魚に、自分がなつてゐる氣がしてゐた。
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大師だけの大徳になりますと、死後二百年の今に到りましても、まだ鬢髮が伸びます。
あゝさうか――。其は聞いた氣がする。それ/\太平廣記といふ――これは雜書だがね――、その書物には、身毒《シンドク》の人|屍《シカバネ》を以て、臘人《ラフジン》を作るとあるがな。臘人を掘り出して藥用にする。其新しき物には、鬢髮を生ずるものあり、とある其だね。
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律師は、手ごたへがあるにはあつたが、はぐらかされたやうな氣がした。其よりも、高徳の人なればこそある奇蹟だのに、それを事もなげに、ざらにあるやうにとりあしらふ、此貴人の冒涜的な物言ひを咎める心で一ぱいになつてゐた。
此人は、自分、大師以上の人間だと思うて御座る。さうした生れついた門地の高さがさせる思ひあがりを、懲らしめたい心で燃えてゐた。
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大師は、今に生きておはしますのです。屍から化してなる屍臘のたぐひと、一つに御考へになつたやうですが、
いや尤もだ。だが、おこるな/\。開山大師はもつと、人柄が大きいぞ。其にどこまでも知識を尊《タフト》んだ人だ。内典の學問ばかりか、外典は固より、陰陽から遁甲の學、もつと遠く大日教の教義まで知りぬいた人だつた。あゝあの學問の十分の一もおれにはない。
二十年に一度、京の禁中から髮剃《カウゾ》り使《ヅカヒ》が立ちます。私もその際、立ちあうたとは申しかねます。が、もう十年も前、御廟へその勅使が立ちました節、尊や/\あなかしこ、近々と拜し奉りました。まこと衰へさせられて黒みやつれては居られますが、目は爛々と見ひらいてゐられました。袈裟をお替へ申しあげるかい添へを勤仕《ゴンシ》いたしました。末代の
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