のが、次第に拡まつて、家持の耳までも聞えて来た。なるほど、憤怒《ふんぬ》の相もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、当今大和一だと言はれる男たちの顔そのまゝだと言ふのである。
多聞天は、紫微内相藤原|中卿《ちうけい》だ。あの柔和な、五十を越してもまだ三十代の美しさを失はないあの方が、近頃おこりつぽくなつて、よく下官や、仕《つか》へ人《びと》を叱るやうになつた。ある円満《うま》し人《びと》が、どうしてこんな顔つきになるだらうと思はれる表情をすることがある。其面もちそつくりだ、と尤らしい言ひ分なのである。
さう言へばあの方が壮盛《わかざか》りに、矛使《ほこゆ》けを嗜《この》んで、今にも事あれかしと謂つた顔で、立派な甲《よろひ》をつけて、のつし/\と長い物を杖《つ》いて歩いたお姿が、ちらつくやうだなどゝ、相槌をうつ者も出て来た。
其では、広目天の方はと言ふと、
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さあ 其がの
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と誰に言はせても、言ひ渋るやうな、ちよつと困つた顔をして見せる。
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実は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保証は出来ないがの。義淵僧正の弟子の道鏡
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