が、まだ続いて居た。
其飛鳥都すら、高天原広野姫尊様《たかまのはらひろぬひめのみことさま》の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原都と名を替へて新しい唐様《もろこしやう》のきら/\しさを尽した宮殿が建ち並ぶ事になつた。近い飛鳥から新渡来《いまき》の高麗馬《こま》に跨つて、馬上で通ふ風流士《たはれを》もあるにはあつたが、多くはやはり鷺栖《さぎす》の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城の坊々《まちみ》に屋敷を構へ、家造りをした。その次の御代になつても、藤原都は日に益し、宮殿が建て増されて行つて、こゝを永宮《とこみや》と遊ばす思召しが伺はれた。その安堵の心から、家々の外には、石城を廻すものが、又ぼつ/\出て来た。さうして其が忽、氏々の上《かみ》の家囲ひをあらかた石にしてしまつた頃になつて、天真宗豊祖父尊様《あめまむねとよおほぢのみことさま》がおかくれになり、御母《みおや》 日本根子天津御代豊国成姫大尊様《やまとねこあまつみよとよくになすひめのおほみことさま》がお立ち遊ばし、四年目には、奈良都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの
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