だが、筋々が断《き》れるほどの痛みを感じた。骨の筋々が、挫けるやうな疼きを覚えた。――さうして尚、ぢつとぢつとして居る。射干玉《ぬばたま》の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様に、寂しく、だが、すんなりと手を伸べたまゝで居た。
耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓《ひろが》つて、過ぎた日の様々な姿を、聯想の紐に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯《しにが》れたからだに、再び立ち直つて来た。
[#ここから1字下げ]
耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は久しかつた。おれによつて来い。耳面刀自。
[#ここで字下げ終わり]
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。
[#ここから1字下げ]
おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、こゝは何処なのだ。
[#ここで字下げ終わり]
其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすつかりおれは忘れた。
[#ここから1字下げ]
おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が声《ね》を聞いたのだつけ。さうだ。訳語田《をさだ》の家を引き出されて、磐余《いはれ》の池に上つた
前へ
次へ
全148ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング