に雇はれた。その後も、当麻路の修復に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢《かへ》が、此ほどの森になつたものな。畏かつたぞよ。
此墓の魂《たま》が、河内|安宿部《あすかべ》から石|担《も》ちに来て居た男に憑いた時はなう。
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九人は、完全に現し世の庶民の心になり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事も、彼等の心には、現実にひし/\と感じられ出したのだらう。
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もう此でよいのだ。戻らうや。
よかろ/\。
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皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者と言ふだけの姿《なり》になつた。
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だがの。皆も知つてようが、このお塚は由緒深《ゆゐしよぶか》い、気のおける処ゆゑ、まう一度魂ごひをしておくまいか。
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長老《おとな》の語と共に、修道者たちは、魂呼《たまよば》ひの行《ぎやう》を初めたのである。
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こう こう こう
をゝ……。
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異様な声を出すものだと、初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも変に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、
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こう こう こう
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其時、塚穴の深い奥から、冰りきつた、而も活き出したばかりの様な声が、明らかに和したのである。
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をゝ……。
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九人の心は、ばら/″\の九人の心であつた。からだも亦ちり/″\に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越へ、又当麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。
唯畳まつた山と谷とに響いて、一つの声ばかりがしてゐる。
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をゝ……。
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三
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おれは活《い》きた。
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闇い空間は、明りのやうなものを漂してゐた。併し其は、蒼黒い靄の如くたなびくものであつた。巌ばかりであつた。壁も牀《とこ》も梁《はり》も、巌であつた。自身のからだすらが、既に巌になつて居たのだ。屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巌ばかり――。触《さは》つても/\巌ばかりである。手を伸すと、更に堅い巌が掌に触れた。脚をひろげると、もつと硬ばつた磐石《ばんじやく》が感じられた。
纔かにさす薄光りも、黒い巌石が皆吸ひとつたやうに、岩窟《いはむろ》の中のものは見えなかつた。唯――けはひ、彼の人の探り歩くらしい空気の微動があつた。
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思ひ出したぞ。おれが誰だつたか、訣つたぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦。即其が、おれだつたのだ。
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歓びの激情を迎へるやうに、岩窟《いはむろ》の中のすべての突角が哮《たけ》びの反響をあげた。彼の人は立つて居た。一本の木だつた。だが、其姿が見えるほどの、はつきりした光線はなかつた。明りに照し出されるほど、纏つた現《うつ》し身をも持つて居なかつた。
唯、岩屋の中に矗立《しゆくりつ》した立ち枯れの木に過ぎなかつた。
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おれの名は、誰も伝へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しくおれ自身にすら忘れられて居た。可愛《いと》しいおれの名は、さうだ。語り伝へる子があつた筈だ。語り伝へさせる筈の語部《かたりべ》が出来て居ただらうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しく/\と胸を刺すやうだ。
――子代《こしろ》も、名代《なしろ》もないおれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らない、大きな穴のあいた気持ちは、其でするのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、現し身の人間どもには忘れ了《ほ》されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死《ともじ》にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子《あはつこ》は、罪びとの子として、何処かへ連れて行かれ、山野のけだものの餌食《ゑじき》になつたのだらう。可愛さうな妻よ。哀なむすこ[#「むすこ」に傍点]よ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が伝らない、劫初から末代まで、此世に出ては消える天《あめ》の下《した》の青人草《あをひとぐさ》と同じく、おれは、此世に影も形も残さない人間になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。
情ないおつかさま。おまへさまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうお出でゞない此世かも知れない。
くそ――外《そと》の世界が知りたい。世の中の様子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別
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