ない物です――の心境生活の隱れた隈の多いあたりの描寫になると、すき[#「すき」に傍点]になれずには居られません。隨分憎むべき所業をしてゐます。
源氏學者は、すどほりに見て居ますが、ずゐぶん力は優つて居ても、結局さうした時代の姿を見透す事の出來ない、神經衰弱の文學耽醉者だつたに過ぎない。
私は、晩年の源氏と、其邊の物語の文がすきである。從つて、此の書けた人が若し女性だつたら、恐しい人だと思ふ。すき[#「すき」に傍点]といふより、畏敬すべき人だと考へる。だが、私はかう言ふ上ずりの記述者は、隱者階級の男だと信じてゐる。
短い文學では、殊に哲學や主義や、態度の意識が、文學動機を濁らせるものだ。歌にしよう、よい歌を作り上げようといふ意圖のなかつた僧家の歌に、ほんの稀々ながら、とびぬけてすき[#「すき」に傍点]になれる物がある。將來力のある、暗示を持つた、誘惑を含んだ作物が、出來るのも無理はない。文學意識が出ると、西行の大部分の歌の如き、「法師くさい」物になる。だが西行も、もの忘れをした樣になつて周圍を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]した樣な歌には、よい物が可なりあつて、すき[#「すき
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