芥川さんなどは若木の盛りと言ふ最中に、鴎外の幽靈のつき纏ひから遁れることが出來ないで、花の如く散つて行かれました。今一人、此人のお手本にしてゐたことのある漱石居士などの方が、私の言ふ樣な文學に近づきかけて居ました。整正を以てすべての目安とする、我が國の文學者には喜ばれぬ樣ですが、漱石晩年の作の方が遙かに、將來力を見せてゐます。麻の葉や、つくね芋の山水を崩した樣な文人畫や、詩賦をひねくつて居た日常生活よりも高い藝術生活が、漱石居士の作品には、見えかけてゐました。此人の實生活は、存外概念化してゐましたが、やつぱり鴎外博士とは違ひました。あの捨て身から生れて來た將來力をいふ人のないのは遺憾です。
さて明治前の文學者に、人間生活の暗示を見せた作家があつたでせうか。私は、最過去各時代の文學に厚薄なく愛著を持つ者ですが、どうにも「ある」を言ひきる勇氣はありません。
紫式部――私は、此一人をば信じませんが――は、時代煩悶を作者の心の上の事實にして居ますが、後者の内に移すだけの描寫力を缺いて居ました。だから、露はな現實の問題すら、おもしろをかしく讀み通させました。でも、菊池寛さんの代表したていま[#「ていま」に傍線]文學よりひどい事をするのです。兄君の心弱い、惡意のない美點を利用して、いろ/\に自分の利益を計つたり、其愛もない息女を娶つて莫大な富を併せたり、妻――紫上は夜床|避《サ》りの年齡に達した――と例のない程、長い共住みを續けて、奉謝生活の願ひを却けたり、若盛りの罪業の現報を見ながら尚、無意思に近い若妻を苦しめたり、殆、手を降さんばかりにして、其敵たる若い親族を死なしめたりしてゐる。
梗概的に知られて來た源氏の性格よりは、作者の表現意力の方が遙かに高い。源氏讀みには、かうした源氏の姿がすきになれなかつたのである。其まゝに曲解を續けて來たのだ。だから晩年になつて、源氏は外面上の整ひや調ひを失ふと同時に、貴族社會の欲望と意力を以て表現してゐる。とりすましてゐる美しい雛の御殿の夢ばかりは、書いて居なかつた。
此點から見ると、更科日記の著者などは、鑑賞に於て、氣分に沁みつく力と根強さとは、ずつと上にあります。
光源氏の晩年――若い頃の、後世の源氏讀みの人々から同感せられ易い、情の深い、行き屆いた心遣ひなどは、唯感傷的な作者の好みで、私にはおもしろくありません。從つて文學的にも嗜ま
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