欲」のないもので、現在の整頓の上に一歩も出て居ない、おひんはよいが、文學上の行儀手引きです。もつと血みどろになつた處が見えたら、我々の爲になり、將來せられるものがあつた事でせう。
逍遙博士はまだ生きて居られるので、問題にはしにくいと思ひますが、あの如何にも「生き替り死に變り、憾みを霽らさで……」と言つたしやう[#「しやう」に傍点]懲りもない執著が背景になつて、わりに外面整然としない作物に見失はれがちな、生活表現力を見せてゐます。つまりは、あきらめ[井「あきらめ」に傍点]やゆとり[#「ゆとり」に傍点](鴎外博士のあそび[#「あそび」に傍点])や、通人意識・先覺自負などからは、嗜かれる文學が出て來ないのです。この意味の「嗜かれる」といふことは、よい生活を持ち來す、人間の爲になる文學、及び作者の評言といふ事になるのです。
一茶の恥しい日記が後から/\出て來ても、一茶の文學が嗜かれ、一茶が磨かれ、よい人間生活の將來を希求した人として嗜かれて來るばかりではありませんか。其と共に、文學價値も高まつて來るのは事實です。
芭蕉に――まちがひだつたでせうが――妾のあつた發見などが報告せられてから、正風の翁の作品の、文壇價値は、やつぱり高まつて來てゐるのは、時代的に内證せられる事實です。單に、「人間味がある」と言ふ樣な、簡單な懷しさによるものと思ふ事は出來ません。
馬琴の日記を見ても、いやな根性や、じめ/\した、それでゐて思ひあがつた後世觀なども、却て、其文學の背景を色濃くし、性格的必然性を考へさせる樣になつて來ました。小づらにくい小言幸兵衞のもでる[#「もでる」に傍線]の樣な爺さまも、文學者として浮きぼりせられて來たのです。だから生活が知れるといふ事は、作者と作物との關係、生活の將來力と個性の表現傾向などが、長い人生の參考や、暗示や動力になるのです。此點において、私の考へる文學の目的に大なり小なり叶うて來るのです。
文學の目的は、私はかう申します。人間生活の暗示を將來して、普遍化を早める事です。此が、私の考へる文學の普遍性で、同時に、文學價値判斷の目安なのです。だから、結局、日記や傳記によつて、文學作品が註釋せられて、作者の實力が知られると言ふのは、抑文學者として哀れな事で、作品其物に、人間共有の拂ひがたい雲を吸ひよせる樣な、當來の世態の暗示を漂はしてゐる文學でなくてはならないのです
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