ない物です――の心境生活の隱れた隈の多いあたりの描寫になると、すき[#「すき」に傍点]になれずには居られません。隨分憎むべき所業をしてゐます。
源氏學者は、すどほりに見て居ますが、ずゐぶん力は優つて居ても、結局さうした時代の姿を見透す事の出來ない、神經衰弱の文學耽醉者だつたに過ぎない。
私は、晩年の源氏と、其邊の物語の文がすきである。從つて、此の書けた人が若し女性だつたら、恐しい人だと思ふ。すき[#「すき」に傍点]といふより、畏敬すべき人だと考へる。だが、私はかう言ふ上ずりの記述者は、隱者階級の男だと信じてゐる。
短い文學では、殊に哲學や主義や、態度の意識が、文學動機を濁らせるものだ。歌にしよう、よい歌を作り上げようといふ意圖のなかつた僧家の歌に、ほんの稀々ながら、とびぬけてすき[#「すき」に傍点]になれる物がある。將來力のある、暗示を持つた、誘惑を含んだ作物が、出來るのも無理はない。文學意識が出ると、西行の大部分の歌の如き、「法師くさい」物になる。だが西行も、もの忘れをした樣になつて周圍を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]した樣な歌には、よい物が可なりあつて、すき[#「すき」に傍点]にならせられる。
時は溯るが、曾根好忠の作物などに、どうしても嫌ひになれぬものゝ多いのは、瞬間の捨て身の心境に適した文學樣式に誂へ向きの人だつたからであらう。
底本:「折口信夫全集 廿七卷」
1968(昭和43)年1月25日発行
初出:「日本文學講座 第十卷」
1927(昭和2)年10月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二年十月「日本文學講座」第十卷」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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