が時代の興味から逸れない間、彼等の職業が一分化を遂げきる迄の間は、流民として漂《ウカ》れ歩いたのである。
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近世芸術は、殆ど柄傘《カラカサ》の下から発達したと言うてもよい位、音曲・演劇・舞踊に大事の役目をして居る。売女に翳《かざ》しかけた物も、僣上して貴人や、支那の風俗をまねたものではあるまい。足柄山で上総前司の一行に芸能を見せたうかれ女[#「うかれ女」に傍線]は、大傘を立てた下に座を構へた(更級日記)。大鏡に見えた「田舞」も、田の中に竪てた傘を中心にした様である。此二つは、平安朝末のやゝ古い処である。其以後は、田楽を著しいものとして、民衆芸能に傘の出て来ないものは尠かつたと言ふ事も出来よう。傘の下は、神事に預る主な者の居る場所である。大陸風渡来以前から倭宮廷にあつた風で、神聖感を表現もし、保護もしたものなのである。うかれ女[#「うかれ女」に傍線]系統の楽器らしい簓《サヽラ》と言ふ物も、形は後世可なり変化したであらうが、実は万葉人の時代からあつたものと言ふ推測がついて居る。此等の事は、力強い証拠とは出来ぬかも知れぬが、異風と見られる点も、実は定住人とさしたる違ひの
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