れぬ様になつてゐるのだから、仮りにこゝを足場として、推論を進めて行つて見る事も出来よう。ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]は寿詞を唱へて室《ムロ》や殿のほかひ[#「ほかひ」に傍線]などした神事の職業化し、内容が分化し、芸道化したものを持つて廻つた。最《もつとも》古い旅芸人、門づけ芸者であると言ふ事は、語原から推して、誤りない想像と思ふ。
さうすれば、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の持つて歩いた詞曲は、創作物であるかと言ふ疑ひが起る。寿詞が次第に壊れて、外の要素をとり込み、段々叙事詩化して行つて、人の目や耳を娯《たのし》ませる真意義の工夫が、自然の間に変化を急にしたであらう。此までの学者の信じなかつた事で、演劇史の上に是非加へなければならぬのは人形のあつた事である。其に、叙事詩にあはせて舞ふ舞踊のあつた事である。此事は後に言ふ機会がある。
此歌は、其内容から見ても、身ぶり[#「身ぶり」に傍線]が伴うて居てこそ、意義があると思はれる部分が多い。「鹿の歌」は、鹿がお辞儀する様な頸の上げ下げ、跳ね廻る軽々しい動作を演じる様に出来て居る。「蟹の歌」も、其横這ひする姿や、泡を吐き、目を動す
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