者即、浮浪祝言師――巡遊伶人――の過程を履《ふ》んで来て居る事が思はれる。千秋万歳《センズマンザイ》と言へば、しかつめらしいが、民間のものよし[#「ものよし」に傍線]と替る所がなく、後々はものよし[#「ものよし」に傍線]の一部の新称呼とまでなつて了うた。
奈良の地まはりに多い非人部落の一つなるものよし[#「ものよし」に傍線]は、明らかにほかひ[#「ほかひ」に傍線]を為事にした文献を持つて居る。
倭訓栞に引いた「千句付合」では、屋敷をゆるぎなくするものよし[#「ものよし」に傍線]の祝言の功徳から、岩も揺がぬと言ひ、付け句には「景」に転じてゐる。
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あづまより夜ふけてのぼる駒迎へ、夢に見るだに、ものはよく候
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とある狂歌「堀川百首」の歌は、ものよし[#「ものよし」に傍線]の原義を見せてゐる。もの[#「もの」に傍線]は物成《モノナリ》などのもの[#「もの」に傍線]と同様、農産の義と見えるが、或は漠然とした表し方で、王朝以来の慣用発想なる某――「物《モノ》」なる観念に入れて、運勢をもの[#「もの」に傍線]と言うたのかも知れない。
江家次第には、物吉
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