し、神を代表したものであらうが、信仰の対象が向上すると、神の性格を抜かれて置去られて了ふ様になつた。そこで、神の託宣を人語に飜訳し、人の動作にうつして、神の語の通辞役に廻る事になつたのであらう。神の暗示を具体化する処から、猿楽風の滑稽な物まねが演出せられる様になり、神がして[#「して」に傍線]、才の男がわき[#「わき」に傍線]と言ふ風に、対立人物が現れる事になつたのであらう。狂言の元なる能楽の「脇狂言」なども、今日では誠に無意味な、見物を低能者扱ひにした、古風と言ふより外に、せむもない物になつたが、以前は語り[#「語り」に傍線]を主にするものではなく、今の狂言が岐れ出るだけの、滑稽な、寧《むしろ》、能楽の昔の本質「猿楽」の本領を発揮したものであつた筈である。神事能の語り[#「語り」に傍線]は、武家の要求につれて、おもしろい「修羅物」などに偏つて行つたのである。
内容は段々向上して、形式は以前の儘に残つて居る処から、上が上にと新しい姿を重ねて行く。狂言やをかし[#「をかし」に傍線]などが、わき[#「わき」に傍線]の下につく様になつたのも此為である。
「俄」「茶番」「大神楽」などにも、かうした道化役が居て、鸚鵡返し風なおどけ[#「おどけ」に傍線]を繰り返す。前に言うた旋頭歌が形式に於て、此反役をして居るが、更に以前は、内容までが鸚鵡返しであつたものと思はれる。問ひかけの文句を繰り返して、詞尻の?を!にとり替へる位の努力で答へるのが、神託の常の形だつたのである。

     三 ほかひ

寿詞を唱へる事をほぐ[#「ほぐ」に傍線]と言ふ。ほむ[#「ほむ」に傍線]と言ふのも、同じ語原で、用語例を一つにする語である。ほむ[#「ほむ」に傍線]は今日、唯の讃美の意にとれるが、予め祝福して、出来るだけよい状態を述べる処から転じて、讃美の義を分化する様になつたのである。同じ用語例に這入るたゝふ[#「たゝふ」に傍線]は、大分遅れて出た語であるらしい。満ち溢れようとする円満な様子を、期待する祈願の意である。たゝはし[#「たゝはし」に傍線]と言ふ形容詞の出来てから、此用語例は固定して来たものと思はれる。讃美したくなるから、讃はし[#「讃はし」に傍線]と言ふのではないらしい。
再活用してほかふ[#「ほかふ」に傍線]、熟語となつて、こと(言)ほぐ[#「こと(言)ほぐ」に傍線]と言うたりするほぐ[
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