居たのは、幾度でもほかひ[#「ほかひ」に傍線]が同じ方角に壊れる上に、落ちつく処は、劇的な構想を持つた詞曲である事を示して居る。
西の宮一社について見れば、祭り毎に、海のあなたから来り臨む神の形代《カタシロ》としての人形に、神の身ぶりを演じさせて居たのが、うかれ人[#「うかれ人」に傍線]の祝言に使はれた為に、門芸として演芸の方に第一歩を、踏み入れる事になつたのであらう。
人形を祭礼の中心にするのは、八幡系統の神社に著しいけれども、離宮八幡以外にも、山城の古社で人形を用ゐる松尾の社の様なのがあり、春日も人形を神の正体《ムザネ》とする場合がある様だ。地方の社では、現在偶人を中心に、渡御を行ふのがなか/\ある。此人形の事を「青農《セイナウ》」と言ふ。
宇佐八幡の側になると、「青農」の為事が殊に目に立つ。八幡に関係の深い筑前|志賀《シカ》[#(ノ)]島の祭りには、人形に神霊を憑らせる為に沖に漕ぎ出て、船の上から海を※[#「藩」の「番」に代えて「位」、第3水準1−91−13]《ノゾ》かせる式をする。
平安朝の文献に、宮廷では、此人形と、一つの名前と思はれる「才《サイ》の男《ヲ》」といふのが見える。御神楽《ミカグラ》の時に出る者である。此まで、才の男[#「才の男」に傍線]は専ら、人であつて、神楽の座に滑稽を演じる者と言ふ風に考へられて居る事は、呪言の展開の処で述べた。江家次第・西宮記などにも「人長《ニンヂヤウ》の舞」の後、酒一|巡《ズン》して「才の男の態」があると次第書きしてゐる。此は、後には、才の男[#「才の男」に傍線]を人と考へる事になつたが、元は、偶人であつた事を見せて居るのである。「態」の字は、わざ[#「わざ」に傍点]・しぐさ[#「しぐさ」に傍点]を身ぶり[#「身ぶり」に傍線]で演じた事を示して居る。神楽の間に偶人が動いてした動作を、飜訳風に繰り返して、神の意思を明らかに納得しようとするのかと思はれる。又、人形なるさいのを[#「さいのを」に傍線]を使はぬ時代に、やはり古風に人形の物真似だけをしたのかも知れぬ。今の処、前の考への方がよいと思ふ。相手の一挙一動をまねて、ぢり/\させる道化役を、もどき[#「もどき」に傍線](牾)と言うて、神事劇の滑稽な部分とせられて居る。「才の男の態」と言ふのは、もどき役[#「もどき役」に傍線]の出発点を見せてゐるのであるまいか。一体、宮中の
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