御神楽は、八幡系統の影響を受けて居るものだと言ふ事が、色々の側から説明出来る。だから、才の男[#「才の男」に傍線]を「青農」と同じく、偶人と見る考へはなり立つ。
昔は疫病流行すれば、巨大な神の姿を造つて道に据ゑて、其を祀つた(続紀)。今も稲虫払ひには、草人形を担ぎ廻つて、遠方に棄てる。稲虫が皆附いて行つてしまふと考へるのである。此は穢・罪・禍の精霊の偶像である。其将来した害物を悉皆携へて、本の国へ帰る様にとの考へである。
人間の形代なる祓《ハラ》への撫《ナ》で物《モノ》は、少々意味が変つて居る。別の物に代理させると言ふ考へで、道教の影響が這入つて居るのである。
ともかくも、昔の人の常に馴れて居たのは、自分の形代か、或は獅子・狗犬から転じて、常々身近く据ゑて、穢禍を吸ひとつて貯めて置く獣形の偶像かであつた。だが、人形の起原を単に、此穢れ移しの形代・天児《アマガツ》・這子《ハフコ》の類にばかりは、かづけられない。人形《ニンギヤウ》を弄ぶ風の出来た原因は、此座右・床頭の偶像から、まづ糸口がついたとだけは言はれよう。穢や禍や罪の固りの様な人形《ヒトガタ》ながら、馴れゝば玩ぶやうになる。五|節供《セツク》は皆、季節の替り目に乗じて人を犯す悪気を避ける為の、支那の民間伝承である。此に一層固有の祓への思想の輪をかけて、節供祓へを厳重にした。三月・五月の人形は、流して神送りをする神の形代を姑らく祀つたのが、人形の考へと入り替つて来たのである。七夕・重陽に人形を祀る処は今もある。盂蘭盆の精霊棚にも、精霊の乗り物以外に、精霊の憑る偶像のあつた事が想像出来る。盆も亦「夏越《ナゴシ》の祓へ」の姿を多分に習合して居るのである。
更級日記の著者が若い心で祈つたをみな神[#「をみな神」に傍線]、宮廷の宮※[#「口+羊」、第3水準1−15−1]祭《ミヤノメマツ》りに笹の葉につるした人形、北九州に今も行はれる八朔の姫御前(ひめごじよ)、此等は穢移しの品でない。而も神の正体なる人形は、原則としては、臨時に作る物である。常住安置する仏像とは、根柢から違ふのである。神の木像などが、今日残つて居るのは、神仏の境目の明らかでなかつた神又は人のである。祭礼の時に限つて、神の資格を持つ人形は、新しく作られる事が多いが、常は日のめも見せず、永く保存せられる物はすくなかつた。
そして、神の正体としての人形は、人間を迷
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