れば、あるべき事である。事実又、其痕跡は段々述べて行くが、確かに残つてゐる。
わりに完全な物語と、物語の断篇とが、或村から離れて他の所へ持廻られる。すると、其処に起るのは、物語の交換と、撒布とである。更に見逃されないのは、文学的な衝動を一度も起さなかつた人々の心の上に、新しい刺戟が生じたことである。記・紀・万葉・風土記の上に、一つの伝説の分岐したものや、数種の説話の上に類型の見つかる事が、沢山にある。此を単純に解決して、同じ民間伝承を飜訳した神話・伝説が、似よりを見せるのは当然だとばかりは、考へられなくなつた。尠くとも、奈良朝以前から既に、巡遊伶人があつた事情から見ても、一層強い原動力を此処に考へないのは、嘘である。
叙事詩の撒布
一 うかれびと
語部《カタリベ》の生活を話す前に寿詞《ヨゴト》の末、語部の物語との交渉の深まつて来た時代のほかひ[#「ほかひ」に傍線]の様子を述べなければならなくなつた。此については、既に書いた概説とも言ふべきものによつて、一つの予備をつくつて頂けて居る事と思ふから、後前御免を願うて、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]が叙事詩化して行つた経路を辿り続ける事とする。日本の遊女の発生と、其固定に到る筋道は、柳田国男先生の意見が、先達の考案の蔑にしてよいものゝ多い、わが学界にとつては、後にも先にもない卓論であり、鉄案でもある。先生は微細な点までもじぷしい[#「じぷしい」に傍線]と殆ど同一の生活をして居た我が古代の浮浪民(うかれびと)なる傀儡子(くゞつ)と、其女性なる遊行女婦(うかれめ)との実在を証拠だてられた(明治四十一年頃の人類学雑誌に連載)。先住民の落ちこぼれで、生活の基調を異神の信仰に置いた其団体が、週期を以て、各地を訪れ渡つて居る中に、駅・津の発達と共に、陸路・海路の喉頸《ノドクビ》の地に定住する事になつた。女性の為事なる芸能(歌舞と偶人劇)と売色を表商売とする様になつて、宿々の長又は長者と言ふ事になつたと言はれて居る。私は、此同化せなかつた民族の後なるうかれびと[#「うかれびと」に傍線]の外に、自ら跳ね出して無籍者になつた亡命の民がまじつて居さうに考へる。つまり其がほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]である事は、前に述べた積りである。
神人が大檀那なる豪族の保護を失ふ理由には、内容がこみ入つて居る。神を守つた村君が亡
前へ
次へ
全34ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング