姿と思はれる。
村と村との睨みあふ心持ちは、まだ抜け切らぬ世の中でも、此旅人はわりに安心であつたであらう。異郷の神は畏れられも、尊ばれもした。霊威やゝ鈍つた在来の神の上に、溌溂たる新来《イマキ》の神が、福か禍かの二つどりを、迫つて来る場合が多かつた。異郷から新来の客神を持つて来る神人は、呪ひの力をも示した。よごと[#「よごと」に傍線]を唱へると同時に、齢[#「齢」に白丸傍点](よ)と穀[#「穀」に白丸傍点](よ)とを荒す、疫病・稲虫を使ふ事も出来た。駿河ではやつた常世《トコヨ》神(継体紀)、九州から東漸した八幡の信仰の模様は、新神の威力が、如何に人々の心を動したかを見せて居る。ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の、異郷を経めぐつて、生計を立てゝ行く事の出来たのも、此点を考へに入れないでは、納得がいかない。
村々を巡遊して居る間に、彼等は言語伝承を撒いて歩いた。右に述べた様な威力を背負つて居た事を思へば、其為事が、案外、大きな成績をあげた事が察せられるのである。
其外に、神奴も、此第一歩の運動には、与つて居さうに思はれる。併し、奴隷階級の者がどうして自由に巡遊する事が出来たか、此点の説明が出来さうもない。だから、此は今|姑《しば》らく預つて、考へて見たいと思ふ。
六 叙事詩の撒布
ほかひ[#「ほかひ」に傍線]が部曲として、語部の様に独立して居なかつた事は、巡遊伶人としての為事に、雑多な方面を含む様になつた原因と見る事が出来る。
乞食者詠を見ても知れる様に、寿詞《ヨゴト》の様式の上に、劇的な構造や、抒情的な発想の加つて来たのは、語部の物語の影響に外ならぬのである。私は保護者を失うた神人の中に、村々の語部をも含めて考へて居る。其上ほかひ[#「ほかひ」に傍線](祝言)が神人としての専門的な為事でないとすれば、語部にしてほかひ[#「ほかひ」に傍線]、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]にして「物語」をある程度まで諳じて居ると言つた事情の者もあつたであらう。元々、神に対してまる/\の素人でない者の事である。語部の叙事詩を、唱へ言の中にとり入れて、変つた形を生み出す様になつたのも、謂はれのない事ではない。
単にとり込んだばかりでなく、本義どほりにはほかひ[#「ほかひ」に傍線]とは縁遠い叙事詩を、其儘に語る様なことも、語部がほかひ[#「ほかひ」に傍線]の徒の中にまじつたとす
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