びた事、そして村君の信仰の内容が易《かは》つた事。此にも、内わけが三つ程に考へられる。倭本村の神をとり入れるか、飜訳して垂跡風にした類(一)。弱い村・亡びた村の出《デ》であつても、新来神《イマキガミ》として畏敬せられた類(二)。同じ類にあげる事も出来る所の、道教の色あひを多分に持つた仏教(三)。此信仰の替り目に順応する事の出来なかつた地方では、段々「神々の死」がはじまつて来た。さうした神々のむくろ[#「むくろ」に傍線]を護りながら、他郷に対しては、一つの新神があると言ふ威力を利用して、本貫を脱け出す者が、後から/\と出た。従うて其信仰様式は、古くもあり、又本意を失うた固定をする事にもなつた。うかれ人[#「うかれ人」に傍線]の祀つた神が、平安中期以後の人々の目には、不思議な姿に映つたのも、一つは此為である。人形の事は、今までに発言の機会を逸して来たが、倭本村に深い関係を交錯してゐる村々の中で、古くから神の形代《カタシロ》なる人形を持つたものが、段々ある。倭の村にだつてなかつたとはきめられぬ。臨時に出来る神の形代が、段々意義を失うて、人の形代が多くなつて来る時代には、常住専ら偶人を斎《いつ》く団体の信仰が異端視せられるに不思議はない。
倭本村から一目置かれて居た大村の神と神人とは、次第に倭化はしながらも、幸福な推移をして行つたであらう。が、村君と血統上の関係を結びつけて考へるに到らなかつた神を祀つた村では、村君は郡領として尚《なほ》勢力を失はずに居ても神と神人とは不遇な目を見た。政教をひき裂く大化の政の実効のまづ挙つたのは、此種の村々であらう。而も何かの理由で、国造と関係のない者がとつて替つて郡領となつたり、さうでなくても中央から来た国司が、地方の事情を顧みないで事をする場合には、本貫に居る事が、積極的に苦しみの元であつた。日向の都野《ツヌ》神社の神奴は、国守の私から、国司の奴隷とせられた。神の憤りは、国司に禍を降す代りに、神奴の種を絶されるに到つた(日向風土記逸文)。此は国造の神が、郡領に力はあつても、倭から置かれた官吏には無力であつた事の、悲しい証拠である。と同時に、恐らく下級神人の二重奴隷と言ふ浮む瀬のない境涯に落ちた事を見せて居るのであらう。村々の神人にして、新しく這入つて来た倭の神の神奴にせられた者、神々の階級が下つた処から、神人の神奴の様にとり扱はれた者もあ
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