居るのであらう。家々を訪れた神の俤《おもかげ》が見えるではないか。
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新室の壁草刈りに、いまし給はね。草の如 よりあふ処女は、君がまに/\(万葉巻十一旋頭歌)
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は、たゞの酒宴の座興ではない。室《ムロ》ほぎ[#「ほぎ」に傍線]の正客に、舞媛《マヒヒメ》の身を任せた旧慣の、稍《やや》崩れ出した頃に出来たものなる事が思はれる。
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允恭天皇が、皇后の室《ムロ》ほぎ[#「ほぎ」に傍線]に臨まれた際、舞人であつた其妹衣通媛を、進め渋つて居た姉君に強要せられた伝へ(日本紀)がある。嫉み深い皇后すら、其を拒めなかつたと言ふ風な伝へは、根強い民間伝承を根としてゐるのである。
来目部《クメベ》[#(ノ)]小楯が、縮見《シヾミ》[#(ノ)]細目《ホソメ》の新室に招かれた時、舞人として舞ふ事を、億計《オケ》王の尻ごみしたのも、此側から見るべきであらう。神とも尊ばれた室ほぎ[#「室ほぎ」に傍線]の正客が弘計《ヲケ》王の歌詞を聞いて、急に座をすべると言ふ点も、此をかしみを加へて考へねばなるまい。
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まれびと[#「まれびと」に傍線]なる語《ことば》が、実は深い内容を持つて居るのである。室《ムロ》ほぎ[#「ほぎ」に傍線]に来る正客は稀に訪ふ神の身替りと考へられて居たのである。恐らくは、正客が、呪言を唱へて後、迎へられて宴の座に直つたものであらう。今も、沖縄の田舎では、建築は、昼は人つくり、夜は神造ると信じて居る。棟あげの当日は、神、家の中に降つて鉦を鳴し、柱牀などを叩き立てる。其音が、屋敷外に平伏して居る家人の耳には、聞えると言ふ。勿論、巫女たちのする事なのである。
八重山諸島では、村の祭りや、家々の祭りに臨む神人・神事役は、顔其他を芭蕉や、蒲葵《クバ》の葉で包んで、目ばかり出し、神の声色や身ぶりを使うて、神の叙事詩に連れて躍る。村の祭場での行事なのである。又、家の戸口に立つては、呪言を唱へて此から後の祝福をする。大地の底の底から、年に一度の成年式に臨む巨人の神、海のあなたの浄土まや[#「まや」に傍線]の地から、農作を祝福に来る穀物の神、盂蘭盆の家々に数人・十数人の眷属を連れて教訓を垂れ、謡ひ踊る先祖の霊と称する一団など皆、時を定めて降臨する神と、呪言・演劇との、交渉の古い俤を見せて居る。
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