が、神主としての由緒を示すに止まつて、政権からは離れてゐた――が、采女《ウネメ》を犯す事を禁じた(類聚三代格)のは、奈良朝以前の村々の神主の生活を窺はせるものである。采女は、天子の為の食饌を司るもの、とばかり考へられてゐるが、実は、神及び現神《アキツカミ》に事へる下級巫女である。
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国々の郡司の娘が、宮廷の采女に徴発せられ、宮仕へ果てゝ国に還ることになつてゐるのは、村々の国造(郡司の前身)の祀る神に事へる娘を、倭人の神に事《ツカ》へさせ、信仰習合・祭儀統一の実を、其旧領土なる郡々に伝へさせようと言ふ目的があつたものと推定することは出来る。現神が采女を率寝《ヰヌ》ることは、神としてゞ、人としてゞはなかつた。日本の人身御供の伝説が、いくらかの種があつたと見れば、此側から神に進められる女(喰はれるものでなく)を考へることが出来る。
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その為、采女の嬪・夫人となつた例は、存外文献に伝へが尠い。允恭紀の「うねめはや。みゝはや」と三山を偲ぶ歌を作つて采女《ウネメ》を犯した疑ひをうけた韓人の話(日本紀)も、此神の嫁を盗んだ者としての咎めと考へるべきものなのであらう。此事が、日本に於ける初夜権の実在と、其理由とを示して居る。出雲・宗像への三代格の文は、宮廷にばかり古風は存して居ても、民間には、神と現神とをひき離さうとする合理政策でもあり、文化施設でもあつたのだ。
地物の精霊の上に、大空或は海のあなたより来る神が考へられて来ると、高下の区別が、神々の上にもつけられる。遠くより来り臨む神は、多くの場合、村々の信仰の中心になつて来る。「杖代《ツヱシロ》」とも言ふ嫁の進められる神は、此側に多かつた様である。時を定めて来る神は、稀々にしか見えぬにしても、さうした巫女が定められて居た。常例の神祭りに、神に扮して来る者の為にも、神の嫁としての為事は、変りがなかつた。此は、村の祭り・家の祭りに通じて行はれた事と思はれる。
二 まれびと
新築の室《ムロ》ほぎ[#「ほぎ」に傍線]に招いた正客は、異常に尊びかしづかれたものである。
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新室《ニヒムロ》を踏静子《フミシヅムコ》が手玉鳴らすも。玉の如 照りたる君を 内にとまをせ(万葉巻十一旋頭歌)
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と言ふのは、舞人の舞ふ間を表に立つ正客のある事を示して
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