と、門づけ芸道との外に、其名を負うた道具であつた。延喜式などに見える外居《ホカヰ》・外居案《ホカヰヅクヱ》など言ふ器は、行器(ほかひ)と一つ物だと言はれて居る。其脚が外様に向いて猫足風になつて四本ある処から出たものと思はれて来た。かなり大きなもので、唐櫃めいた風らしく考へられる。其|稍《やや》小さくて、縁《フチ》があつて、盛り物でもするらしい机代りの品を、「外居案《ホカヰヅクヱ》」と言ふらしい。「ひ」と「ゐ」とは、音韻に相違はあつても、此時代はまだ此二音の音価が定まらないで、転化の自由であつた時なのだから、仮字の違ひは、物の相違を意味せないのである。
だが、稍遅れた時代の民間のほかひ[#「ほかひ」に傍線]は、其程大きな物ではない。形も大分変つて来てゐる様である。絵巻物によく出て来る此器は、形はずつと小さくて、旅行や遠出に、一人で持ち搬びの出来る物である。
私は、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の常用した此器を便利がつて、大小に拘らず其形を似せて、一般に用ゐ出したのだと思ふ。今一歩推論してもよければ、頭上・頸・肩に載せたり、掛けたり、担いだりして、出来る限りの物を持つて出かけるのが、昔の人の旅行であつたであらう。其が、ともかく担ぎなり、提げなりして、二人分も三人分もの荷物を搬ぶ道具を国産する様になつたのが、旅行生活に慣れたほかひ[#「ほかひ」に傍線]の徒の手からであつたものらしい。さうなら、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の略称なるほかひ[#「ほかひ」に傍線]が、発明者の記念として、器の名となるのも、順当な筋道である。
行器を、清音でほかひ[#「ほかひ」に傍線]と発音するだらうと言ふ事は、外居の宛て字からも考へられる。古泉千樫さんも、其郷里房州安房郡辺では、濁らないで言ふことゝ、山の神祭りの供物を、家々から持つて登る時に使ふ為ばかりに保存せられて居る事とを、教へて下さつた。
宮廷に用ゐられた外居が、行器とおなじ出自を持つて居るものとすれば、何時の頃どう言ふ手順で入り込んだか、すべては未詳である。唯、神事に関係のある器である事だけは、確からしい。
巡遊伶人として、芸道の方面に足を踏み込む様になつても、本業呪言を唱へる為事は、続けて居たと言ふ事は考へられる。彼等の職業はどう分化しても、一種の神の信仰は相承せられて行つた。寿詞を誦し、門芸を演じながら廻る旅の間に、神
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