と言ふ。
極めて古い時代には、主上或は村君は、不滅の人格と考へられて居る。だから、個々の人格の死滅は問題としない。勢《いきほひ》、つぎ[#「つぎ」に傍線]・ひつぎ[#「ひつぎ」に傍線]の観念も発達して居なかつたと見える。信仰の変化から神格と人格との区別が考へられる様になつて、始めてつぎ[#「つぎ」に傍線]が現れたのである。
奈良朝以前のつぎ[#「つぎ」に傍線]は、生の為でなく、死の為のものであつた。つぎ[#「つぎ」に傍線]につぎてられる[#「つぎてられる」に傍点]のは、死が明らかに認められた後であり、生死の別が定まるまでは、鎮魂式を行ひ、氏々・官司奉仕の本縁を唱へて、寿詞を奏する。此を、日本紀などには、後世風の誄《シヌビゴト》と解して書いて居るが、古代はしぬびごと[#「しぬびごと」に傍線]自体が、哀悼の詞章ではなかつた。外来魂が竟《つひ》に還らぬものと定まると、この世の実在でないと言ふ自覚を、死者に起させようとかゝる。死者の内在魂に対して、唱へ聴かす詞章がなくてはならぬ。此がつぎ[#「つぎ」に傍線]であつた。
此つぎ[#「つぎ」に傍線]と、氏々・官司の本事《モトツゴト》(略してこと[#
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