ふ」に傍線]と言うた事も、とこよ[#「とこよ」に傍線]と聯想があつたのではないかと思はれる。
年の替り目に来た常世神も、邑落生活上の必要から、望まれる時には来る様になつた。家の新築や、田植ゑ、酒占や、醸酒《サカガミ》、刈り上げの新嘗《ニヒナメ》などの場合である。
[#ここから2字下げ]
くしの神 常世にいます いはたゝす 少御神《スクナミカミ》の 神ほぎ 祝ぎ狃《クル》ほし、豊ほぎ、ほぎ廻《モトホ》しまつり来しみ酒《キ》ぞ……(仲哀記)
掌《タナソコ》やらゝに、拍ち上げ給はね。わがとこよ[#「とこよ」に傍線]たち(顕宗紀、室寿詞の末)
妙呪者《クスリシ》は、常のもあれど、まらひと[#「まらひと」に傍線]の新《イマ》のくすりし……(仏足石の歌)
[#ここで字下げ終わり]
など歌はれた常世神も、全然純化した神とならぬ中に、性格が分化して来た。其善い尊い部分が、高天原の神となり、怖しく醜い方面が、週期的に村を言ほぎ[#「言ほぎ」に傍線]に来る鬼となつた。だから常世《トコヨ》[#(ノ)]思金《オモヒカネ》[#(ノ)]神《カミ》といふ名も、呪言の神が常世から来るとした信仰の痕跡だと言へよう。田植
前へ
次へ
全137ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング