を改めなかつたけれど、段々人としての意識を主客共に持つ樣になつた。顯宗紀の室壽詞《ムロノヨゴト》に「いで、常世たち」と賓客たちに呼びかけてゐるのは、齡の久しい人と言ふ樣にもとれる。勿論、さうした祝福をこめた詞ではあるが、古代からまれびと[#「まれびと」に傍線]に對して呼びかけた「常世の神たちよ」と言つた風の固定した常用句が、やはり殘つて居たものと見るべきである。
とこよ[#「とこよ」に傍線]が永久の齡・長壽などの用語例を持つたのは、語の方からも、祖先の靈と言ふ考への上に、よ[#「よ」に傍線]に齡《ヨ》の聯想が働いたからである。常闇の國から、段々不死の國と言ふ風に轉じて行つたのである。而もよ[#「よ」に傍線]と言ふ語には、古代から近代まで、穀物或は其成熟の意味があつた。とこよ[#「とこよ」に傍線]は更に、豐饒或は富みの國なる聯想を伴ふ樣になつた。常世と一つに考へられ易いわたつみの國[#「わたつみの國」に傍線]は、人間の富みの支配者であつた上に、時々潮に乘つて、彼岸の沃肥を思はせる樣な異樣な果實などの流れよることなどがある爲、空想は愈、濃くなり、色どられて行く。
かうした展抒は、藤原朝以前からであつた。漢種の人々の影響が具體的になつて來ると、益、海中の三仙山の壽福の姿が、常世の國の上に重つて來て、常世・仙山を接近させる樣になつた。平安朝の初期に、「標の山」の上に仙山を作つて、夫婦神を据ゑる樣にさへなつたのは、此信仰の混淆から來たのだ。
更に常世の國に就て、日漢共通の、而も獨立發生の疑ひのないものは、神婚譚がどちらにもついて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて居ることである。漢・魏・晉・唐の間の民間説話の記録なる小説は、宮廷祕事でなければ、神仙と高貴の人との媾遇を主題とした物が多い。
更に「楚辭」にも屈原の物すら、稍、此傾向のあるものがあるが、其末流なる宋玉・登徒子等の作物は、張文成の艶話の前驅とも言ふべき自敍傳體の、仙女又は貴女との交渉を記したものが多い。文成の物になると、日本・三韓あたりの念書人の鑑賞に適切な、啓蒙的な筆致と構想とを備へてゐた。而も、夙に歡び迎へられた「遊仙窟」は、仙女との間の情痴を描寫したものである。書物よりの影響は勿論、日本の文人を動して、奈良朝に出入して、既に浦島子傳・柘枝傳に辿々しい模倣の筆つきで、我が國固有の神女・人間婚合の物語を書
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