かしめた。而も筆を以てせぬ漢種の人々の神仙譚が、人々の耳に觸れた多くの機會を想像する事が出來る。さうした事が、如何に、常世と仙山とを分ち難いものにしたことであらう。其上、國語では、男女の交情・關係をも「よ」と言ふ音で表した。常世が戀愛の無何有郷と言ふ風にも考へられた。浦島子譚と同系と見えるほをりの命[#「ほをりの命」に傍線]の物語も、常世の富みと戀ひとを述べて居る。「齡」の方は、此方にはなくて、前者の方に説いてゐる。其浦島子の幸福を逸した愚さを、齒痒く感じた萬葉人の詞は、すべての萬葉人の仰望をこめての歎息だつたのである。
覓國使《クニマギツカヒ》の南島を求めに出た動機には、かうした樂土への憧れを含んで居たことであらう。ちようど中世紀の歐洲人が、擧つて淨土西印度の空想をあめりか[#「あめりか」に傍線]に實現した樣に、此は七島・奄美・沖繩諸島を探り得たのだ。而も其島々の荒男も、おなじくさうした樂土に憧れて居たこと、今の世の子孫が尚あるが如くであつたらう。平安朝に入つては、常世の夢醒めて、唯、文學上の用語となり、雁がねに古風な情趣を添へようとする人が、時たま使ふだけになつて了うた。まことに、海の彼方に憧れの國土を觀じた祖先の夢は、ちぎれ/\になつて了うたのである。
海については、四天王寺の西門は、極樂淨土東門に向ふが故に、淨土往生疑ひなしと信じて、水に入つた鎌倉時代の人々や、南海にあると言ふ觀世音の樂土を想うて、扁舟に死ぬまでの身を乘せて、漕ぎ出した「普陀落渡海」も、皆、水葬の古風が他家の新解説を得たまでゞ、目ざす淨土は、やはり常世の形を變へたものに過ぎなかつたのである。
時勢から見ても、常世の國は忘られねばならなかつた。常世神に仕へた村人らは海との縁が尠くなつて行つた。平野から山地にまで這入つて了うては、まれびと[#「まれびと」に傍線]の來る處は、自ら變つて來る。現在或は近世の神社行事の溯源的な研究の結果と、古代信仰の記録とを竝べて考へて行くと、一番單純になりきつたのは、海濱の村の生活の印象である。こゝまで行くと、我が國土の上に在つたことか、其とも主要な民族の移住以前の故土での事か、訣らなくなる部分が出て來る。此事については、別に論じたく思ふが、此だけの事は言はれる。
ともかくも、信仰を通じて見た此國土の上の生活が、かなり古くからであつたらしい事である。尠くとも、さうし
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