、此|出石《イヅシ》人の物語も、一種のりつぷ※[#濁点付き平仮名う、1−4−84]あんゐんくる[#「りつぷ※[#濁点付き平仮名う、1−4−84]あんゐんくる」に傍線]式の要素を備へてゐて、常世特有の空想の衣がかゝつてゐる。思ふに、古代人の考へた常世は、古くは、海岸の村人の眼には望み見ることも出來ぬ程、海を隔てた遙かな國で、村の祖先以來の魂の、皆行き集つてゐる處として居たであらう。そこへは船路或は海岸の洞穴から通ふことになつてゐて、死者ばかりが其處へ行くものと考へたらしい。さうしてある時代、ある地方によつては、洞穴の底の風の元の國として、常闇の荒い國と考へもしたらう。風に關係のあるすさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]の居る夜見の國でもある。又、ある時代、ある地方には、洞穴で海の底を潛つて出た、彼岸の國土と言ふ風にも考へたらしい。地方によつて違ふか、時代によつて異るか、其は明らかに言ふことは出來ない。なぜならば、海岸に住んだ古代の祖先らは、水葬を普通として居た樣だから、必しも海底地下の國ばかりは考へなかつたであらう。洞穴に投じたり、荒籠《アラコ》に身がらを歛めて沈めたりした村の外は、船に乘せて浪に任せて流すこと、後世の人形船や聖靈船・蟲拂ひ船などの樣にした村々では、海上遙かに其到着する死の島[#「死の島」に傍線]、或は國土を想像したことも考へられる。事實、かういふ彼岸の常世を持つた村々が多かつたらしいのである。此二つの形が融合して、洞穴を彼岸へ到る海底の墜道の入り口と言ふ風に考へ出したものと思ふ。琉球の八重山及び小濱島のなびんづう[#「なびんづう」に傍線]から通ふにいるすく[#「にいるすく」に傍線]も、にこらい[#「にこらい」に傍線]・ねふすきい[#「ねふすきい」に傍線]氏の注意によれば、底の國ではなく、垣・村・壘などを意味する「城」の字を宛て慣はしたすく[#「すく」に傍線]である事は既に述べた。此邊にすく[#「すく」に傍線]を稱する離島は可なりにある。さすれば、にらい國[#「にらい國」に傍線]は必しも海底の地ともきまらぬのである。事實、沖繩諸島では、他界を意味する島を海上にあるとする地方が多く、海底にあると言ふ處はまだ聞かない。大東島《ウフアガリシマ》も明治以前は單なる空想上の神の島――あがるいの大主[#「あがるいの大主」に傍線]の居る――の名であつたのを、偶然其
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