て出來たものらしいが、用例は多く變じて居る。此風は、古くは、全國的に行はれて居たものであらう。唯、地方的に固いしゞま[#「しゞま」に傍線]が守られて、其風が氓びて了うたものと思ふ。
時としては、既に巫女の生活をしてゐる村の娘が「神」の手を離れて「人間」の男にゆくと言ふ考へから、神になごりを惜む形式を行ひ、神の怒りを避けようとすることもある。此も後に言はうが、稍、遲れた世の解釋である。村の娘全體巫女であつた時代が過ぎてからのことであらう。故らに迎へる臨時のまれびと[#「まれびと」に傍線]の他の例は「酒釀《サカカ》み」の場合である。我が國の奈良朝までの文獻で見ると、平時にも酒を娯しむ風は大陸文明によつて解放せられた上流の、宗教生活を忘れかけて來た階級の消閑の飮料とする風から擴つたものと見ることが出來る。單に飮み嗜む爲の「酒釀《サカカ》み」行事は、民間にはなかつた樣である。此にも常例のものはないではない。村の祭りに先立つて、神の爲に釀して、神人たちの恍惚を誘ふ爲にした。が多くの場合、人の生命に不安を感じる時、行ふ儀式がさかほかひ[#「さかほかひ」に傍線]であつた。酒の出來ぐあひを以て、生死を占ふのである。
此一轉化したものが、粥占である。旅行者の身の上を案ずる場合にも、此方法で問うた樣である。病氣には、其酒をくしのかみ[#「くしのかみ」に傍線]として飮ませ、旅行者無事に歸つた時は此を酌んで賀した。さうした酒宴を酒ほかひ[#「酒ほかひ」に傍線]と言ふのだと考へる人もある樣であるが、釀酒の初めに行はれる式を言ふ事は疑はれぬ。此式は占ひの方に傾いた爲に、後には神の意志は、象徴として表され、本體は來臨せぬものゝ樣に見えるが、
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このみ酒《キ》は、わがみ酒《キ》ならず。酒《クシ》の神、常世にいます、石《イハ》立たす少名御神の、神壽《カムホ》ぎ壽《ホ》ぎ狂ほし、豐壽《トヨホ》ぎ壽ぎ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《モトホ》し、獻《マツ》り來しみ酒《キ》ぞ。涸《アサ》ず飮《ヲ》せ。ささ(仲哀記)
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など言ふところから見ると、常世の神が來て、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]するものと信じ、其樣子を學んで、若者が刀を振り※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]し、又は或種の神人が酒甕の※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りを踊りま
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