、はぢひげの調ひを以てする――を犯した者は、穢れに觸れるのである。宗教的に見れば、重大な罪科である。我が國にも此例はあつて、今も尚信じて居る地方はある。村の神が巫女として、性生活に入る事を認め許した成女の資格をまだ持たない者が、未成女である。たとひ身は成熟してゐても。女の側にかゝつたたぶう[#「たぶう」に傍線]を犯すからと言ふのではなく、男の方の資格に疵が出來るからである。神として(神人として)村の祭りに與る者は、成女即巫女として神にあふ資格ある者以外に觸れてはならないのである。成女式は、村の宗教の權威者の試みを經る事であつた。我が國古代では地方の神主(最高の神職)たる國造等が、とり行うた痕が見える(此は別に述べる)。而も其外にも、村の神人たる若者が、神としての資格で、此式を擧げることもあらう。
此第二次、或は本式の成女式が結婚の第一夜に行はれる事は、邑落生活の樣式が固定した爲であらう。成年式同樣に、きまりの年齡に達した女の、神主からの認められ樣は、結婚以前に受けて居たのを、原則とする事が出來よう。村の男の妻どひの形は、神の資格に於て、夜の闇の中に行はれた。顏も見せないで家々の娘とあふ形は、通ふ神の風が神話化した後迄も、承け繼がれた。だから、女の方の成年式は早く廢れて、痕跡を初夜權に殘し、村の繁殖の爲の身體の試驗・性教練としての合理的の意味を持つ事になつたのであらう。其以前に、祭りの夜のまれびと[#「まれびと」に傍線]のひと夜づま[#「ひと夜づま」に傍線]の形で卒へられたのが、事實に於ける成女式であつた。
婚禮の夜は、新しい嬬屋《ツマヤ》が新夫婦の爲に開かれ、新しい床に魂が鎭められねばならぬのだから、神の來訪を待つことは考へられる。其爲に、新夫婦に科する「水祝ひ」なる祓へは、飛鳥朝にも既に行はれて居た。其頃から既に幾分含んでゐた村人のほふかいな[#「ほふかいな」に傍線]嫉妬表示の固定したものではない。まれびと[#「まれびと」に傍線]を迎へる當の責任者を祓へ、二人の常在所となるべき處を清めるのである。此も元は、水をかける若者が、神の資格に於てしたことゝ思はれる。
其上に家の巫女として、處女又は主婦が對すると言ふまれびと[#「まれびと」に傍線]迎への式がまじり合うて、新嬬屋の第一夜が、夫の「床避《トコサ》り」の風を生じたものであらう。床さる・片さるなど言ふ語は、元かうし
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