の屋敷を踏み鎭める行儀である。陰陽師配下の千秋《センズ》萬歳は固より、其流なる萬歳舞も反閇《ヘンバイ》から胚胎せられてゐるのである。千秋萬歳と通じた點のある幸若舞の太夫も反閇《ヘンバイ》を行ふ。三番叟にも「舞ふ」と言ふよりは、寧「ふむ」と言うて居るのは、其原意を明らかに見せて居るのである。
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新室を蹈靜子が手玉鳴らすも。玉の如照りたる君を、内にとまをせ(萬葉集卷十一旋頭歌)
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最初の五字の訓はまだ決定して居ないが、踏んで鎭むる子の意に違ひなからう。さすれば、ふむしづめ子[#「ふむしづめ子」に傍線]・ふみしづめ子[#「ふみしづめ子」に傍線]など言ふよりは、ふみしづむ[#「ふみしづむ」に傍線](しづむるの意。古い連體形)子[#「子」に傍線]と訓じてよからう。手玉を纒いた人が、新室の内の精靈を踏み鎭めて居る樣である。
新室《ニヒムロ》のほかひ[#「ほかひ」に傍線]について言うて置かねばならぬ事は、其が臨時のものか、定例として定期に行うたものかと言ふ事である。新室と言へば、新しく建築成つた時を言ふと思はれるが、事實はさう簡單な事ではなかつた。
宮中の大殿祭は、一年に數囘あつて、神と天子とにへ[#「にへ」に傍線]を共にし給ふ時の前提條件として、必、行はれることになつて居た。大殿祭によつて淨められた殿舍において、恆例の儀式が始まる訣である。だが、此祭り自體が「祓《ハラ》へ」ではなくて、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]であつた。祓へは勿論、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]から分化した作法なのは明らかであるが、大殿祭の場合、祓へを主體と見る事は出來ない。後世こそ「神人相甞」の儀が主となつて、大殿祭は獨立した祭りとは思はれない姿をとつて居るが、以前は二者一續きの行事か、或は寧、殿ほかひ[#「殿ほかひ」に傍線]の方が主部をなし、にへ[#「にへ」に傍線]の方は附屬部の方であつたかも知れない。まれびと[#「まれびと」に傍線]を迎へる爲の洒掃と考へるのは、まれびと[#「まれびと」に傍線]の本義をとり違へて居る。ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の結果、祓への效力を生じさせるのは、まれびと[#「まれびと」に傍線]の威力である。後には專ら、さう解釋して、神を迎へる用意として執り行ふことになつた樣だが、本來の姿は、自ら分たれねばならぬ。
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