たが、實はやはり靈代であつたのだ。
鏡餅の如きも、神に供へる形式をとつては居ない。大黒柱の根本に此を据ゑて、年神の本體とする風、又、名高い長崎の柱餅などの傳承を見ると、どうしても供物ではなく、神體に近いものである。盆棚の供物と似た「食ひつみ」を設ける地方では、餅・飯を以て靈代とする必要がなかつた。他の農作物或は山の樹木を以て表すことが出來た。其故、固陋に舊風を墨守した村又は家では、正月餅を搗かぬ傳承を形づくつたのである(民族第一卷第二號)。

      八 ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]とそしり[#「そしり」に傍線]と

ことほぐ神[#「ことほぐ神」に傍線]と、そしる神[#「そしる神」に傍線]とに就ては、既に述べた。さうして、藝術の芽生えがおとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]の手で培はれた事を斷篇的には述べて置いた。此に就て、今少し話を進める方が、靈とおとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]との關係を明らかにするであらう。
先島列島のあんがまあ[#「あんがまあ」に傍線](沖繩の村芝居)に似た風習が、沖繩本島にある。田畠のはじめの清明の節に行はれることで「村をどり」と言ふのが、此である。此は、若い衆多人數を以て組織せられた團體で、村の寄り場から、勢揃ひをして、樂器を鳴らしながら練つて來るのは、あんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]同樣で、此は日中であるだけが違ふ。踊り衆もあり、唐手使ひ・棒踊りの連中もこめて、一組になつて來る。順番によつて、それ/″\藝を演ずるのであるが、其「村をどり」になくてはならぬ定式の演藝がある。其は、第一「長者《チヤウジヤ》の大主《ウフツシユ》」の作法と、第二「狂言」とである。
長者の大主《ウフツシユ》は、其村の祖先と考へられて居るもので、白髯の老翁に扮してゐる。此が村をどり[#「村をどり」に傍線]の先導に立つ一行の頭である。此頭が舞臺に上ると、役名を親雲上《ペイチン》と稱する者が迎へてもてなすのである。此は、正統の子孫の族長たる有位の人と言ふ考へに依つてゐるのである。さすれば、長者の大主に隨ふ人々は、あんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]の眷屬と同一の者でなければならぬ。さうして、其演ずる藝もまたあんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]の場合と同樣に見てよい。だから、琉球の演劇の萌芽なる村をどり[#「村をどり」に傍線]は、遠方から來臨する祖靈及び眷屬
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