同じ意味から出たものであつた。
奈良朝以前は、各氏[#(ノ)]上――恐らくは氏々の神の神主の資格に於て――が、天子に「賀正事《ヨゴト》」を奏上することになつてゐた。賀正事《ヨゴト》は意義から出た宛て字で、壽詞《ヨゴト》と同じである。古い程、すべての氏々の賀正事《ヨゴト》を奏したのであらうが、後は漸く代表として一氏或は數氏から出るに止めた樣である。此も家長に對する家人としての禮を以て、天子に對したのである。だから、壽詞を奏することが、服從の意を明らかに示すことになつて居たとも見られる。
古代に於ける呪言《ヨゴト》は、必、其對象たる神・精靈の存在を豫定して居たものである。賀正事《ヨゴト》に影響せられる者は、天子の身體といふよりも、生き御靈[#「生き御靈」に傍線]であつたと見るのが適當である。天子の生き御靈[#「生き御靈」に傍線]の威力を信じて居たのは、敏達天皇紀十年閏二月|蝦夷綾糟《エミシアヤカス》等の盟ひの條に
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泊瀬の中流に下り、三諸《ミモロ》[#(ノ)]岳に面し、水に漱ぎ、盟ひて曰はく……若し盟に違はば、天地の諸神、及び天皇の靈、臣が種を絶滅さむ。
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とあるのは、恐らく文飾ではあるまい。
正月、生き御靈[#「生き御靈」に傍線]を拜する時の呪言が「おめでたう」であつたとすれば、正月と生き盆との關係は明らかである。生き盆[#「生き盆」に傍線]と盂蘭盆との接近を思へば、正月に魂祭りを行つたものと見ることも、不都合とは言はれない。柳田國男先生は、やはり此點に早くから眼を著けて居られる。
私は、みたまの飯[#「みたまの飯」に傍線]の飯[#「飯」に傍線]は、供物《クモツ》と言ふよりも、神靈及び其眷屬の靈代だと見ようとするのである。此點に於て、みたまの飯[#「みたまの飯」に傍線]と餅[#「餅」に傍線]とは同じ意味のものである。白鳥が屡餅[#「餅」に傍線]から化したと傳へられる點から推して、靈魂と關係あるものと考へて居る。なぜなら、白鳥が靈魂の象徴であることは、世界的の信仰であるから。餅[#「餅」に傍線]はみたま[#「みたま」に傍線]を象徴するものだから、それが白鳥に變じると言ふのは、極めて自然である。みたまの飯[#「みたまの飯」に傍線]と餅[#「餅」に傍線]とは、おなじ意味の物である。我々は、餅[#「餅」に傍線]を供物と考へて來てゐ
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