祭り」は中元に限るものでなかつたことを示してゐるのであらう。「魂祭り」類似の形式が「節の祭り」と融合して殘つて居る痕が見える。七夕も盆棚と違はぬ拵への地方があり、沖繩では盆・七夕を混同してゐる。八朔にも、端午にも、上巳にも、同樣な意味を示す棚飾りと、異風を殘した地方がある。正月の喰ひ積み、幸木《サイハヒギ》系統の飾り物には、盆棚と共通の意味が見られる。大晦日を靈の來る夜とした兼好の記述から見ても、正月に來り臨む者の特別な靈物であつたことが考へられる。
七 生きみ靈
生き御靈[#「生き御靈」に傍線]の方で言はう。中世、七夕の翌日から、盂蘭盆の前日までを、いきみたま[#「いきみたま」に傍線]、或は、おめでたごと[#「おめでたごと」に傍線]なる行事のある期間としてゐた。恐らく武家に盛んであつたのが、公家にも感染して行つた風俗と思はれるが、宗家の主人の息災を祝ふ爲に、鯖《サバ》を手土産に訪問する風が行はれた。家人が主人に對してすることもあり、農村では子方から親方の家に祝ひ出ることもあつた。此は一族の長者を拜する式だつたのが、複雜になつたものらしい。おめでたごと[#「おめでたごと」に傍線]と言ふのは、主公の齡のめでたからむことを祝福しに行くから出た語である。いきみたま[#「いきみたま」に傍線]と稱へる訣は、主公の體内の靈を拜して、其に「めでたくあれ」と祈つて來るからである。盂蘭盆に對して、今も之を生き盆[#「生き盆」に傍線]と稱して行ふ地方もある。畢竟、元は生者死者に拘らず、此頃、靈を拜したなごりに違ひない。結局、鎭魂祭は生き御靈[#「生き御靈」に傍線]の爲に行はれたのが、漸次、意義を分化して、互に交渉のない祭日となつて了うたものであらう。だから、節供に靈祭りの要素のあることも納得出來る。季節の替り目にいきたま[#「いきたま」に傍線]の邪氣に觸れることを避けようとしたのである。
おめでたごと[#「おめでたごと」に傍線]から引いて説くべきは、正月の常用語「おめでたう」は、現状の讚美ではなく、祝福すべき未然を招致しようとする壽詞であると言ふことである。生き盆のおめでたごと[#「おめでたごと」に傍線]と同じ事が、宮廷で行はれてゐた。春秋の朝覲行幸が其である。天子、其父母を拜する儀であつて、上皇・皇太后が、天子の拜を受け給ふのであつた。單に其ばかりでなく、群臣の拜賀も
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