れた衣に簑笠を著せて、老爺に爲立て、弟猾《オトウカシ》に箕を被かせて、老媼の姿に扮せしめたことが出て居る。此は二段の合理化を經た書き方で、簑笠で身を隱すと言ふより、姿が豹變するものとした考へ、第二に二人が夫婦神の姿に扮した――と言ふよりも、夫婦のおとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]の姿の印象が、此傳説を形づくつたと見る方が正しい――ので、神の服裝には簑笠が必須條件になつて居たことを示すものである。
此事は、尚ほ[#「ほ」に傍線]及びうら[#「うら」に傍線]の條に詳しく解説をする。隱れ簑・隱れ笠は、正確には外來のものではない。在り來りの信仰に、佛教傳來の空想の、隱形の帽衣の觀念をとりこんで發達させたまでゞある。人間の姿がなくなつて、神と替るといふことゝ、人間の姿を隱すと言ふことゝだけの違ひに過ぎない。
又、笠神の形態及び信仰の由來する所も、其大部分は、此おとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]の姿から出てゐるものと見られる。今も民間信仰に、田の神或は其系統の社の神の、簑笠を著けたのが多いのは、理由のあることである。遠い國から旅をして來る神なるが故に、風雨・潮水を凌ぐ爲の約束的の服裝だと考へられ、それから簑笠を神のしるしとする樣になり、此を著ることが神格を得る所以だと思ふ樣になつたのである。簑笠で表された神と、襲《オスヒ》・※[#「ころもへん+畢」、第4水準2−88−32]《チハヤ》を以て示された神との、二種の信仰對象があつて、次第に前者は神祕の色彩を薄めて來たものと思はれる。神社・邸内神は後者で表されたものである。後には、簑よりも笠を主な目じるしとする樣になつて行つた。此は然るべきことで、顏を蓋ふといふ方にばかり、注意が傾いて行つたので、神事と笠との關係は、極めて深いものであつた。
大晦日・節分・小正月・立春などに、農村の家々を訪れた樣々のまれびと[#「まれびと」に傍線]は、皆、簑笠姿を原則として居た。夜の暗闇まぎれに來て、家の門から直にひき還す者が、此服裝を略する事になり、漸く神としての資格を忘れる樣になつたのである。近世に於ては、春・冬の交替に當つておとづれる者を、神だと知らなくなつて了うた。或地方では一種の妖怪と感じ、又或地方では祝言を唱へる人間としか考へなくなつた。其にも二通りあつて、一つは、若い衆でなければ、子ども仲間の年中行事の一部と見た。他は、專門の祝言職に
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