任せると言ふ形をとるに到つた。さうして、祝言職の固定して、神人として最下級に位する樣に考へられてから、乞食者なる階級を生じることになつた。
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     ┌妖怪
おとづれ人┤
     └祝言職――乞食
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だから、かういふ風に變化推移した痕が見られるのである。門におとづれて更に屋内に入りこむ者、門前から還る者、そして其形態・爲事が雜多に分化してしまうたが、結局、門前での儀が重大な意義を持つて居たことだけは窺はれる。此樣に各戸訪問が、門前で其目的を達する風に考へられたものもあり、又、家の内部深く入りこまねばならぬものとせられたのもある。古代には家の内に入る者が多く、近世にも其形が遺つて居るが、門口から引き返す者程、卑しく見られて居た樣である。つまりは、單に形式を學ぶだけだといふ處から出るのであらう。

      四 初春のまれびと[#「まれびと」に傍線]

乞食者はすべて、門藝人の過程を經て居ることは、前に述べた。歳暮に近づくと、來む春のめでたからむことを豫言に來る類の神人・藝人・乞食者のいづれにも屬する者が來る。「鹿島のことふれ」が※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り、次いで節季候《セキゾロ》・正月さし[#「正月さし」に傍線]が來る。「正月さし」は神事舞太夫の爲事で、ことふれ[#「ことふれ」に傍線]は鹿島の神人だと稱した者なのだ。
此中、節季候《セキゾロ》は、それ等より形式の自由なだけ、古いものと言はれる。其姿からして、笠に約束的の形を殘してゐた。此は、近世京都ではたゝき[#「たゝき」に傍線]と言ふ非人のすることになつて居た。たゝき[#「たゝき」に傍線]の原形だと言はれてゐる胸叩《ムネタヽ》きと言ふ乞食者は、顏だけ編み笠で隱して、裸で胸を叩きながら「春參らむ」と言うたとあるから、「節季に候」と「春參らむ」とは、一續きの唱へ言であつたことが知れる。さうしてたゝき[#「たゝき」に傍線]の正統は、誓文拂ひ位から出たすた/\坊主[#「すた/\坊主」に傍線]に接續して居る。而も、其常用文句は「すた/\坊主の來る時は、世の中よいと申します」と言ふ、元來、明年の好望なることを豫約するものであつた。
大晦日は前にも述べたとほり、節分・立春前夜・十四日年越しと共通の意味を持つた日と考へられて居た爲、かうした點にも同樣の事が行はれた
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