の來る夜の民俗は、武塔《フタフ》神を拒み、或は宿した巨旦《コタン》將來・蘇民《ソミン》將來の民譚(備後風土記逸文)をも生んで居る。此は新甞の夜とは傳へて居ない。事實、刈り上げ祭り以外にも、神の來臨はあつたのである。此武塔神の場合に、御子《ミコ》神を隨へて居られるのは注意せねばならぬ。此神をすさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]と同じ神とする見解も古くからあるが、此は日本紀の一書に似た型の神話を止めて居るからであらう。命、高天原を逐はれた時に長雨が降つて居た。青草を以て簑笠として、宿を衆神に乞うたが、罪ある故にとめる者がなかつた。其以來、簑笠を著て他人の家に入り、又、束草を背負うて這入ることを諱んだ。犯す者には祓へを課したのが、奈良朝の現行民俗であつた。此神話は、武塔神の件との似よりから觀ると、やはり神來訪の民俗の神話化したものに違ひない。

      三 簑笠の信仰

而も尚一つ、簑笠に關する禁忌の起原を説く點である。私の考へる所では、簑笠を著て家に入つたからとて、祓へを課する訣はない。孝徳朝に民間に行はれた祓へを見ても、家を涜し村を穢したものとする樣々な口實を以てして、科料を課して居る樣子が見える。だから、束草などは説明の途のつかない間は、姑く家を汚すものと見ることも出來るが、簑笠を着てづゝ[#「づゝ」に傍点]と這入ることは、別途の説明をすることが出來る。婚禮の水祝ひも、實は孝徳紀によると、祓へから出發して居るのである。巫女と婚する形式になるところから婚前に祓ふべきを、事後に行うたのである。
此と同じで、簑笠を著たまゝで、他家の中に入るのは特定のおとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]に限る事であるのに、其を犯したから祓ふのである。が此は、一段の變化を經て居る。祓へをして簑笠を着たおとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]を待つ風があつたのを、其條件に叶はぬ人の闖入に對して、逆に此方法をとつたものである。決して農村生活に文化式施設を試みようとの考へから出たのではない。簑笠は、後世農人の常用品と專ら考へられて居るが、古代人にとつては、一つの變相服裝でもある。笠を頂き簑を纏ふ事が、人格を離れて神格に入る手段であつたと見るべき痕跡がある。
神武紀戊午の年九月の條に、敵の邑落を幾つも通らねば行けぬ天[#(ノ)]香山《カグヤマ》の埴土を盜みに遣るのに、椎根津彦《シヒネツヒコ》に弊
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