る。羽前庄内邊で「にはない行《ギヤウ》(?)」と言ふのは、新甞の牲《ニヘ》と見るより寧、にへなみ[#「にへなみ」に傍線]の方に近い。にへ[#「にへ」に傍線]する夜の物忌みに、家人は出拂うて、特定の女だけが殘つて居る。處女であることも、主婦であることもあつたであらう。家人の外に避けて居るのは、神の來訪あるが爲である。
此等の民謠は、新甞の夜の民間傳承が信仰的色彩を失ひ始めた頃に、民謠特有の戀愛情趣にとりなして、其樣子を潤色したのである。來訪者を懸想人としたのは、民謠なるが爲であるに過ぎないが、かうしたおとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]を豫期する心は、深い傳承に根ざして居たのである。かうした夜の眞のおとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]は誰か。其は刈り上げの供を享ける神である。其神に扮した神人である。
「戸おそふる」と言ひ、「外《ト》に立つ」と謠うたのは、戸を叩いて其來訪を告げた印象が、深く記憶せられて居たからである。とふ[#「とふ」に傍線]はこたふ[#「こたふ」に傍線]の對で、言ひかける[#「言ひかける」に傍線]であり、たづぬ[#「たづぬ」に傍線]はさぐる[#「さぐる」に傍線]を原義として居る。人の家を訪問する義を持つた語としては、おとなふ[#「おとなふ」に傍線]・おとづる[#「おとづる」に傍線]がある。音を語根とした「音を立てる」を本義とする語が、戸の音にばかり聯想が偏倚して、訪問する義を持つ樣になつたのは、長い民間傳承を背景に持つて居たからである。祭りの夜に神の來て、ほと/\[#「ほと/\」に傍点]と叩くおとなひ[#「おとなひ」に傍線]に、豐かな期待を下に抱きながら、恐怖と畏敬とに縮みあがつた邑落幾代の生活が、産んだ語であつた。だから、訪問する義の語自體が、神を外にして出來なかつたことが知れるのである。新甞の夜に神のおとづれ[#「おとづれ」に傍線]を聽いた證據は、歌に止まらないで、東の古物語にも殘つて居た。母神(御祖神《ミオヤガミ》)が地上に降つたのは、偶然にも新甞の夜であつた。姉は、人を拒む夜の故に、母を宿さなかつた。妹は、母には替へられぬと、物忌みの夜にも拘らずとめることにした(常陸風土記)。物語の半分は「しんどれら型」にとり込まれて居るが、前半は民間傳承が民譚化したものである。新甞の夜に來る神が、一方に分離して、御祖神の形をとることになつたのだ。
おなじく神
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