、敍事詩であつたのである。日本民族の間に、國家意識の明らかになりかけた飛鳥朝の頃には、早、萬葉に表れたゞけの律文形式は、ある點までの固定を遂げて居た樣に見える。
我々の祖先の生活が、此國土の上にはじまつて以後に、なり立つた生活樣式のみが、記・紀其他の文獻に登録せられて居るとする考へは、誰しも持ち易い事であるが、此は非常に用心がいる。此國の上に集つて來た澤山の種族の、移動前からの持ち傳へが、まじつて居る事は、勿論であらう。
併し、此點の推論は、全くの蓋然の上に立つのであるから、嚴重にすればする程、科學的な態度に似て、實は却つて、空想のわり込む虞れがある。だから、ある點まで傳説を認めておいて、文獻の溯れる限りの古い形と、其から飛躍する推理とを、まづ定めて見よう。
其うちで、ある樣式は、今ある文獻を超越して、何時・何處で、何種族がはじめて、さうして其を持ち傳へたのだと言ふ樣な第二の蓋然も立てられるのである。さうなつた上で、古代生活の中に、眞の此國根生ひと、所謂高天原傳來との交錯状態が、はつきりして來るのである。
文章も亦、事情を一つにして居る。敍事詩の發達に就て、焦點を据ゑねばならぬのは、人
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