稱の問題である。
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土居光知氏は、日本文學の人稱問題の發達に、始めて注意を向けた方である。氏と立ち場は別にして居るが、此事は、言ひ添へて置きたい。
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日本紀の一部分と、古事記の中、語部《カタリベ》の口うつしに近い箇所は、敍事として自然な描寫法と思はれる三人稱に從うて居る。時々は、一人稱であるべき抒情部分にすら、三人稱の立ち場からの物言ひをまじへて居る。「八千矛[#(ノ)]神と妻妾との間の唱和」などが其である。此は、敍事詩としてのある程度の進歩を經ると、起り勝ちの錯亂である。ところが間々、文章の地層に、意義の無理解から、傳誦せられ、記録せられした時代々々の、人稱飜譯に洩れた一人稱描寫の化石の、包含せられて居る事がある。
一人稱式に發想する敍事詩は、神の獨り言である。神、人に憑《カヽ》つて、自身の來歴を述べ、種族の歴史・土地の由緒などを陳べる。皆、巫覡の恍惚時の空想には過ぎない。併し、種族の意向の上に立つての空想である。而も種族の記憶の下積みが、突然復活する事もあつた事は、勿論である。其等の「本縁」を語る文章は、勿論、巫覡の口を衝いて出る口語文
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