の時には、是非さうしなければならぬのです。只今は国文学の話ではないのですから、少しも必要はないやうなものですけれども、この場合にも、略《ほぼ》同じ形に嵌るのですから、階級の名前だけ挙げて置きます。
国文学の上では、先づ、文学者の階級として女房階級と言ふものを私は置いてゐるのです。女房即ち、宮廷或は貴族に仕へてゐる高級の女官で、さう言ふものが国文学の支配をしてをつた時代です。さう言ふ時代に於いては男が作つても女の姿で作る。土佐日記など御覧になりましても訣りますやうに、男のすなる日記と言ふものを女もしてみむとてするなり、と女に仮装して書いて居る。さう言ふ連衆が、書いてゐる中にだん/\実力を得て来る様になり、表面に出て来て、作者の本当の階級になつて来ます。それ等を隠者階級と言ひました。これが江戸の始め迄続いてゐた文学者の階級です。それから後は、町人の文学者の名が出て来た。元禄前後からの事です。これを戯作《ゲサク》者と呼んでをりますが、これは隠者階級の形をだん/\学んで、さうして、独立して戯作をした。これが明治迄の有様です。かう言ふ風に、非常に少いが、その間に色々な階級が割込んで来る訣です。女房の階級に纏綿して搦みついてゐるのは王族で、それから貴族です。これは主流ではないのですけれど、王族とか貴族とかの文学は皆あるのでして、これが調和して、女房文学になつて来た訣です。で王族、貴族の文学と言ふものも考へる必要があるのです。それから、女房文学が隠者文学に移つて行く過程も、やはりあるのです。寺家《ジゲ》文学、寺の家と書いて寺家の文学と言ふものがございます。それから武家の文学と言ふものがあります。鎌倉、室町時代になりますと、隠者文学に影響を与へた非常に低級な文学があります。――低級な文学と言ふものも見る必要があります。高級な文学ばかり見て居つたんでは為様がない。低級な文学が高級な文学を動かしてゐるのです。低級な文学と提携しなければ高級な文学と言ふものも、やはり生命を保つて行けないのですから。――その低級な文学に武官、武家の文学があつたのです。大体これだけです。日本の文学の系統はごく、簡単です。
ところが古いところでは、文学をば伝承し或は存続させると言ふことは、つまり、言語を伝承し、言語を存続させると言ふ事と同じ事なのです。なんにも意味が変らないのです。だからその点に於いて、話は自然文学的になつて参ると思ひます。譬へば、それ等の階級を、――或は階級以外のものでもですが――言葉だけで申しますと、宮廷方言、貴族方言と言ふ様な言ひ方で、考へていゝ訣です。そしてそれをひつくるめて、女房方言と言ふものがあります。或はその他には、武官の階級であれば武官方言、寺家の階級であれば寺家方言と言ふものが出来て来るでせう。けれども、その中の隠者と言ふものは、方言を持つてゐません。つまり、生活を持たず、社会を持たないものであつて、隠者と言ふ者は、何時でも、色々な社会にくつゝいて行くだけです。貴族の家へも行けば、武家の家へも行く。そしてそれ自身の大きな社会と言ふものを持たないのですから、隠者の方言と言ふものはない。隠者と言ふものが持つてゐたのは、文学語だけです。それで、世捨人が持つてゐるものと、武家の方言と言ふものに就いては、簡単に申されません。武家は日本国中に散在してをつたのですから、その武家をば、一遍に武家方言と言ふやうな風に、ひつくるめて申すことは出来ません。大体、国語をば階級に嵌めて見ましても、さう言ふ風に嵌つて行くのです。併し、尚、国語の伝承せられて行くその過程らしいものが釈ければ私は満足するのですが。
四 諺の発生及びその伝承
民間伝承の方で取扱ふ言語伝承と言ふものは、色々あります。色々あるのですけれども、大体三つの区分があると思ひます。一つは宗教的な言葉で、まあ呪言とか呪詞とか言つておいていゝでせう。それから、まう一つは言語遊戯。言葉の遊戯です。それから、まう一つは方言です。併し、この他にまう一つ重要なものがあります。つまり、文学的な口頭伝承です。口の上で伝承せられるもの、それが、口の上ばかりで伝承せられてゐることもあり、筆記せられて、文章になつてゐるものもあります。併し、私は多くの場合、これを言語遊戯として、同じ項目に入れて考へてをります。つまり、呪言と、言語遊戯と――その中へ非文学と名前をつけてゐるものを入れてゐます。文学にして文学に非ざるものと言ふ訣で、非文学と言ふ名前をつけてをります。――それから方言と、大体この三つですが、今これに就いて、詳しく申してゐるのも大変なことですから、極く、断片的な事を申しませう。
一体、我々は遊戯と言ふものをば、非常に昔とは変つて考へる様になつて来てゐます。遊戯と言ふものは、昔、宗教的な儀礼をば練習するところから、起つてゐるのでせう。今は遊戯と言ふと、主に子供を考へますけれども、子供に限りません。この宗教的練習が、つまり、宴会の型になつたりするのでせう。お酒を飲んだり、歌を歌つたりすると言ふことは、やはり一つのお祭りの練習です。その練習と言ふ道をとつて、厳粛であるべきお祭りが、我々の日常生活の少し華《はなやか》な時、即ち、晴れの場合に持ち来される。子供の遊戯になるともつと著しいのです。なんでもかんでも皆、一つの宗教的な儀礼の練習をしてゐるのです。だから、その練習だつて、昔は時が定つてをつたに違ひない。時期と言ふものがあつたのですけれども、面白い遊びは面白いからいつでもやる。そこで、自然に社会的な制裁があつて、特別の場合の他は出来ないことになつた。如何に面白い遊びでも、いつでもやれば、かう言ふ事になるでせう。だから、遊戯と言ふものには、必ず、一種の神秘感を持つてゐたものでせう。我々でも、なんかさう言ふ感じを、この子供の遊びを回想してみると感じる訣です。譬へば、盆の前に昔の女の子供達が「小町踊り」と言ふ事をした。棚機《タナバタ》から盆へかけて、棚機と盆との極く短い間、女の子が列を組んで歩いて、太鼓を叩いて町を練つて歩いたのです。小町踊りと名前こそ言はないけれども、私共も生れた大阪の町でやつて参りました。お盆より前に止めてしまふのですけれども、我々は夏中やつてをりました。それは一つの練習だと言ふ事が訣るのです。それが遊戯になるのです。つまり、遊戯と言ふものは、昔の儀礼の退歩なのですが、或意味からすると、儀礼をば保存してゐるもの、儀礼をば保存しようとしてゐると言ふ形だ、と言ふ観方もある訣です。
只今の場合では言語遊戯ですが、この、国語の遊戯に関するものも、非常に種類がありまして、これもなか/\申し切れませんが、話を簡単に致します為に、少し聯絡が切れ勝ちになりますが、先づ諺と言ふものから申し上げたいと存じます。
諺と言ふものは、只今考へてゐるのとは非常に違ふのです。つまり、諺と言ふものは、一番さしさはりのない言ひ方では、「言ひ慣はし」と言ふ事に過ぎない。ところが我々の一部でも、諺と言へば、なんか社会的訓諭の意味を持つた短い言葉だと言ふ風に言はれてをりますが、日本の諺の歴史を見ると言ふと、そんな事はなくなつてしまふ。諺と言ふ言葉は、これも語源が訣つた方がいゝのですけれど、訣るやうで訣らないのですから、無理に訣らうとしない方がいゝかも知れません。無理に訣らせようとすると言ふと、訣つた語源に引きずられる。が兎も角、諺と言ふ言葉が書いてあるものは、大抵、地方的な意味を持つてゐるのです。この場合、地方的と言ふのは全国的でないと言ふ事です。田舎のもあれば都会のもある。総べてが共通に、一つの諺を持つてゐると言ふことは、考へられないが、それがだん/\一般的になつて来る。今残つてをります古い風土記、奈良朝の時に出来たと称する、風土記を見ますと――「常陸風土記」が一番適切に出てをります――「風俗諺」或は「風俗歌」と言ふのがあります。くにぶり[#「くにぶり」に傍線]の諺くにぶり[#「くにぶり」に傍線]の歌と読むのですが、歌と諺とにちやんと区別をつけてゐるのは、形式に違ひがあるからです。或は形式に違ひがあり、形式に区別があると言ふ以外に、理由が、それ以前にまう一つあるのでせう。この中、歌の方は、国文学の領分に早くから這入つてをりますから、なるべく避けて、諺の方を申して行きます。つまり、「風俗諺」として書いてあるが、それが諺を適切に表してゐる。諺と言ふものは、もと/\地方的なもので、国々、その地方々々の人達の間に、行はれてゐるものと言ふことなのです。だから、宮廷には宮廷の諺があり、貴族でもその家の諺と言ふものがあつたらしく思はれます。古事記や日本紀を見ましても、宮廷の諺が伝つてをります。
わりに、日本の国文学史を専攻する人は歌が好きです。どんな歌の断片でも、まるで、だいやもんど[#「だいやもんど」に傍線]の一粒でも拾ひ集めて来る様に考へて、一所懸命で採集してをりますが、諺はわりに顧みない様です。
つまり、地方で、何か知らぬけれども、残つてゐる言葉があります。その言葉は、失ふことの出来ないと言ふものがあるんですね。まあ普通我々が、その中から抜き出して考へることの出来る意味はこれだけです。つまり、その諺をば覚えてゐると言ふ人、覚えることの出来る人と言ふのは、実は限られた人だけなのです。そしてその諺を覚えてゐると言ふと、その諺の持つてゐる威力が、その人の体に宿るのです。同時に、その言葉の威力、言霊ですね。――言霊なんて言ひますと、神道家みたいになりまして、話が新鮮味を欠きますから、避けてゐるのですけれども、まあ気取つてみたところで同じことですが――その言葉の威力と言ふものは、結局、その土地を自由にすることが出来る威力と同じことです。言霊と言ふものは、国魂と言ふものと同一視してゐますが、もとは違ふでせう。宮中で行はれた事を見ても、国の魂と言ふものがよく訣るのです。天子様の御身体には、大和の国を御自由になさる魂が、這入つてゐるのですが、国々の古い領主にも、さう言ふ国魂と言ふものが這入つてゐるのです。その国魂と言ふものと、言霊と言ふものとを一つにしてゐるが、本当の事は説明がよくつくのです。
その国魂と言ふものは、たゞでは体に這入らない。沖縄あたりに行つてみますと、魂を落しますと、「まぶい籠《ク》み」と言つて、まぶい[#「まぶい」に傍線]を体に籠めると言ふので、色々な石を拾つて来て、ゆた[#「ゆた」に傍線]と言ふ者に石を与へることに依つて、まぶい[#「まぶい」に傍線]が這入ると言うてをります。併し、日本の本島のは、言葉を通して魂が這入つて来る、即ち、言語は仲介者であると考へてゐたのでして、後には、言語そのものも魂を保有してゐると考へる様になつて来たのです。これを強く感じると言霊信仰ですが、兎も角、魂の這入つた言葉と言ふものがあるのです。それを体のなかに入れておくと、その人はその土地に対する力を生じるのです。入れておくと言ふことを昔の人は実際に出来る事だ、つまり、さうして体の中に這入ると思つてゐたのです。心と言ふ言葉は、水心と言へば水の一番深みの処の事で、水心とか地心とか火心とか言ひます。昔の人は、人の体にも深い処があつて、其処に魂が這入る、そして其処に旨く落着くと出て行かない、かう言ふ風な処があると考へてゐたのです。そしてそれが心だと思つてゐたのです。つまり、魂の入れ物が心なのです。心と言ふものは、必ずかう言ふ風な穴みたいなものゝ積りで使つてゐる。具体的に見ると、さう言ふ風に考へられますけれども、本当はそんな訣ではないのですから、まあ覚えてゐることなので、覚えてゐると魂が這入つてゐる訣なんですね。で、その国にある諺と言ふものは、出来るだけその土地の威力を持つてゐる人、つまり、権力者が覚えてをつたものです。
それと同時に、歌がやはりさうなのです。後には歌が非常に勢力をもつて来た為に諺が減退してしまつたのですけれども、歌と言ふものは、起りは違ふが、兎も角、二つ並んで来たのです。形式も違つてゐて、さう規則正しくは行きませんけれども、大体私共の
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