国語と民俗学
折口信夫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)訣《ワカ》りません
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|立[#二]於浮渚在平処[#一]《ウキニマリタヒラニタヽシテ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「りっしんべん+可」、279−27]
[#…]:返り点
(例)立[#二]於浮渚在平処[#一]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一 国語と民俗学
私の題は非常に面白さうな題目ですが、私にはまだこの話を完全に申上げる事が出来ません。どうぞ、そのお積りで鷹揚に聞いて戴きたいと思ひます。守随さん、大間知さんそれに私、この三人で、柳田先生の代役を勤めてゐるもの、かう見て戴きたいと思ふのであります。併し、力は三人かゝつて行つても柳田先生に叶はぬ。さう申して私はかまひませんけれど、大間知さん、守随さんに済みませんから、三人で叶ふものとかう見て戴きます。
昨日以来、大体に於いて、只今の民俗学の概念はお汲み取り下さつたものと存じます。それで、もと/\民俗学と言ふ事に就いて話して居りましたら、大変な時間のかゝる事ですから、それは飛越して、先へ話を進めて行く積りでをります。私共の一部の間では、若し許して戴くことが出来れば、民俗と言ふ言葉を註釈する為に「前代の知識」と言ふ言葉を使つても良いと考へてをります。果して、前代の知識と言ふのが完全に当て嵌るかどうか訣《ワカ》りません。民俗でなくても、前代から伝つてをる知識と言ふものは沢山あるんですから、完全でないと言ふ事は大体感じる事が出来ますけれども、さう言つてしまへば、何だつてそれ程完全なものはないんですから、先づ、前代の知識と言ふ位の事を以て、民俗と言ふ言葉の説明に代へて、話をして行きたいと思ひます。
民俗学の為事《シゴト》としては独立の民俗学、民俗学それ自身独立してやつて行つてゐる方面、それからまう一つ補助学科としての民俗学がある。つまり、学問の方法としての民俗学で、この二つの方面がございます。この第二の方の、方法として用ゐられる民俗学と言ふものゝ方が、比較的世間に取入れられ易い為に、どうかすると、民俗学と言ふものは補助学科だと言ふ風に見られ勝ちです。我々同人達が共同で進んで行つて、民俗学の独立性を確実にしようと只今致してをります。これはたゞに日本だけの為事ではない。さうすれば大変大きな為事になつて来る。かう言ふ考への下にやつてゐる訣《ワケ》です。
私最近東京の方で講演がありまして、「国文学と民俗学」と言ふ話を申しました。その関係からこちらの方でも「国語と民俗学」と言ふ話をする事になつた訣です。つまり、この題から申しますと言ふと、「国語の補助学科としての民俗学」と言ふ事に、話の見当が定つて来ると存じます。だが只今申上げた様に私共の為事と言ふものは、まう少し先に行きたい。つまり、独立の民俗学と言ふものをはつきりさせよう、と言ふ事を始終考へてゐるのですから、今日のお話は、民俗学を補助学科としての意味で御聞き下さつては、不都合な事が大分出て来るかも知れません。
それに致しましても一番最初に、この国語と民俗学との接触面の、一番緊密な処は何処かと申しますと、国語学のうちでの最も古い態度、つまり、訓詁解釈、世間の一部の学者から憐まれて居る態度の、訓詁解釈であります。訓詁解釈と言ふものは、明治以前には非常に盛んであつた。それを受継いで、明治以後の国語、国文学者が一所懸命やり過ぎました結果、新しい国文学者から排斥せられてゐました。けれども、その為に又、新しい国文学者にはものが一向読めないのです。そして読めないで大ざつぱな解釈をするとか、或は材料の穿鑿をするとか、かう言ふ様な事ばかりに向いて来まして、或はさうでなければまう少し意味のある計画をして、文学史を研究すると言ふやうな事になる訣です。それで本文が読める読めないと言ふ事が、一番その死命を制するんだと言ふ事も忘れてをります。が、最近には又訓詁解釈と言ふ事が頭を擡げて参りました。その運動がはつきりして来たのは昨年からだ、かう言つて良いと思ひます。どうも学問の態度と言ふものははつきりするものではないですけれども、兎に角世間に名告りを挙げて来たのは、大体昨年頃からです。これは当然、さうなければならない事だと存じます。それで私の話も先づ訓詁解釈と言はれてゐる方面から這入つて行つたらよからうと、かう存じます。
本当の事を申しますと、補助学科と致しまして、民俗学の方から国語学或は国語の研究に持出しをするのですけれども、私の場合はさうではないやうに思ひます。国語の方から民俗学の方に歩み寄つてゐることもあるし、民俗学の方から国語の方に歩み寄つてゐる風なところもあつて、両方から行つてゐる、さう言ふ風です。
どうも我々は、何時も、申したり書いたりすることが、古代に偏し過ぎてゐます。これは自分等の知識の偏りなんです。知識が古代に偏つてをりますから、古代の事だつたら解釈がつき易い。古代の事だつたら、直ぐに豊富に――豊富にと言つては恥しいですけれど、まあ貧弱乍ら豊富に出て来る。又近代の事でもやはり幾らか潤沢にあるんですが、中世の事だと、もうほんの岩間の滴りのやうにしか、浸み出て来ません。一つの研究に対して、どつと押寄せて来る、殺到して来るやうな知識がなければ、本当の研究だとは言ひ得ないですね。かう言ふ材料を集めてみよう、と言ふやうな、まるで、大学を卒業しようとする者が、卒業論文を書いてゐるやうな態度では――今の大学の卒業生達はそんな者ばかりではありませんけれども――生きた研究者の本当の態度ではないのです。一つの研究に対して、色々な材料が集つて来ると言ふのでないと、生きた研究には、本当はならないのだと存じます。これがつまり、過去の文献学者と今日の同じ傾向に居る学者、国語・国文学者との、本当の違ひだと思ひます。
さう言ふ傾向の学者の研究と言ふものは、総べて随筆風に、知識の網羅になつてをります。譬へばらぢお[#「らぢお」に傍線]の話なんか時折聞いて居りますと、――余り適切に例を出す事は人の悪口を言ふ事になりますから、それは避けて、少し変へて申します。――八百屋お七なら八百屋お七の事を綴つた戯曲を論じて見ると言ふと、それに類似した事を、昔からずつと近代迄集めて来て、それに組織をつけて見ます。つけて見る事は見るのですが、自分の組織ですから、それに這入り切れないものがあります。その他に、八百屋お七の狂言に依つてかうであつた、かうでもあつたと、譬へば八百屋お七を瀬川菊之丞がやつた時に、かう言ふ模様の振袖で行つた、それ以後、その着た振袖模様が伝つてゐて、芝居の上でも、それで何時迄も用ゐられてゐる、と言ふやうな事を言ひますが、そんな事を言つて見たつて、それは何にもならない。唯、こんな零細な知識迄も、無視しては研究して居ない、と言ふ事を示してゐるに過ぎない。或は羽衣の、三保の浦の翁と天人との話を研究してゐると、天人の話を幾らでも並べ立てゝ来る。国内にも潤沢にあります。西洋にも白鳥処女伝説と言つて、天人の話は沢山あります。有り余つてをりますが、その他に、色々断片的な知識を添へる事を忘れない。そして琉球の銘苅子まで添へて来る。さう言ふ風な研究法は、本当でないと迄は言へないかも知れないが、さう言ふ態度も昔は一般に認められてをつたのです。けれども、今日ではそれはもう、認められないことでなければならない。つまり、一つの無駄もなしに、一つの論文は生きた有機的な有機体となつて、働かなければならない筈です。話を聞いてゐても、さう言ふ附添へ物は不自然な死んだものが挟まれてゐるやうな気が致します。ですが、我々の知識の程度ではどうしても偏ります。古代の知識の割合に豊なものは、古代に依つて解釈しようとします。近代に豊富な者は近代に依つて解釈しようとします。中世を知つてゐる者は中世に依つて解釈しようとするのであります。併し、それは円満にしたいものです。まあその研究態度に依つて、この研究がいゝか悪いかと言ふ事を判断して貰うて、材料の問題は、その人には殆ど個性となつてゐる、学問の習慣に依つて材料が手に這入るんだから、それは態度のよし悪しではない、と言ふ風に考へて戴かなければなりません。
その場合に、大変都合のいゝ事は、時代として定つた書物の上の国語の外に、時代の一切訣らない――と言ふと語弊があるかも知れませんが――まあ訣らないものが非常に多い。それは、所謂国語として扱はれてはをりませんが、国語であるには違ひない方言と言ふものであります。方言と言ふものは、記録せられた言語の何層倍もあつて、それが生れたり死んだり、又形が変つたりして、生滅してをります。だから方言と言ふものは年代が訣らない。古いとも言へない。或は中世のものとも定められない。同時に古代のものでもあり、中世のものでもある事が出来るのです。だから、方言と言ふものゝ学問に対する本当の価値と言ふものは、未だ未知数なのです。我々の様に補助学科として、方言をば国語学の上に利用する価値と言ふものは、未知数です。未知数だけれども、兎に角思ひ切つてしまふ事が出来ない。事実方言を使つて居ると、続々成績が挙つて来る。さう言ふものがあるから、我々は方言を其処へ利用してくれば、更に材料が殖えて来る訣です。
御承知の通り国学の先輩達も、方言と言ふものゝうちに、古語が遺つてゐると言ふ事に注意をし出しまして、それで、言葉を発見する事を喜んでをります。併し、さう言ふ態度、譬へば、本居宣長や鈴木重胤等の態度を見ますと言ふと、方言を非常に憐なものと見てゐる。自分等の使つてゐるものは、非常に憐なものと見てをつて、それが昔の、貴族みたいな古い言葉と合つてゐたり、古い言葉を証明するに足りるとは、望外の光栄だ、非常に有難い事だと言ふ風に、感謝するやうな気持で、方言を見てゐる。だから、我々が方言を見る態度とは違つてゐる。つまり、未だ学問的の価値が本当には定つてをらず、これから我々の使ひ方で、愈々価値を増して来る筈のものである、それが近代語であると共に古語でもあり得る、と言ふのが方言です。さう言ふものをば、国語の研究に流用するやうにして行くと言ふんですから、大分態度が違つて来て居る訣です。
二 言語伝承
けれども第一に考へなければならぬ事は、我々の言葉と言ふものは、結局お蕎麦を拵へる時のつなぎ[#「つなぎ」に傍線]みたいなものでせう。我々の思想と言ふものをば保管する為の、一つの機関に過ぎない。だから同時にその言語と言ふ機関がなければ、我々の思想と言ふものはつなぎ[#「つなぎ」に傍線]を失つた蕎麦粉と同じ事で、何処へ飛んで行つてしまふか訣らない。我々には、何も考へる事が出来ない。我々の言葉と言ふものは、後へ/\思想を伝へて行くと言ふ事の他に、現在我々が、物を集中して考へると言ふ目的の方が、もつと高い位置にあるんです。これ等は何も概念を、抽象的な観念をば扱ふところの、哲学者の言草ではありません。実際我々は言葉なくては物を考へられない。他の状態なら、中毒と同じ事です。私でもさうですが、書いて見なければ考へられないと言ふ人があるでせう。譬へば、表を書いて見なければ訣らないと言ふ人がある。又さう言ふ人が多くなつて来る世の中です。人の考へ方と言ふものは、だん/\と変つて来る。併し、言葉なくして、それ以前に何を考へてをつたかと言ふ事は、我々は考へる事も出来ません。そんな事があつたかも知れませんけれども、我々には空想する事も出来ません。
それだから、昔の人々も、言葉と言ふものに精霊がある、言葉に霊魂があると、かう考へた筈だと思ひます。つまり、日本の言葉で申しますと「言霊」と申します。言葉に精霊があり、それが不思議な作用をすることを、さきは
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