る全部の祝詞が出来て来る。その中には古いものもあらうけれども、私は神代からあつた祝詞と言ふものはないと思ひます。なにしろ、神様と関係があるものです。だから、皆神代からあつたものが多い、と昔の人は言ひます。これは崇神天皇の時、これは天智天皇の時に出来たものである、と言ふ風に皆話をしてをりますけれども、根本が間違つてゐる。部分的には、非常に古いものも残されてゐるけれども、その部分は、入れなければ祝詞の価値がなくなるから入れてゐるので、一つの文章の中の、古い部分と新しい部分とを数へて、その新しい部分を計算すれば、大体訣るのです。兎も角、私は全体として、祝詞の方が宣命よりも、やはり新しいとしてをります。ところがこの宣命と言ふものも、昔の人は都合のいゝ事を考へまして、祝詞が宣命に似過ぎてゐるからして、実は宣命は古い祝詞の真似をしたんだらう、と言ふやうな事を昔の人は言つてをります。そんな事はないのです。つまり、祝詞と言ふものは古いものは皆亡んでしまつて、新しいもの、平安朝のものだけが残つた。一方、宣命は幸にも、それより古い頃のものが残つたと見ていゝのでせう。それから宣命の文法と言ふ事を言ふ人は、非
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